2023年11月30日木曜日

ひどい教員だった

 最後に組んだ人は本当にひどい教員だった。

行動面と結果だけで見れば、体罰虐待教員だった。


子どもの問題行動の原因が自分にあることに全く気付かない。

そもそも特別支援教育に興味がないのに、普通校から特別支援学校に鞍替えしてきていた。

小学校で教員をしてきている場合、普通は子どもが興味を持つような遊びであったり指導がそれなりにできるはずなのに、本当に素人のようで何もできなかった。

本人は言わなかったが、小学校では特別支援学級を受け持っていたようなのに、特別支援について何も知らなかった。

知識や技術の不足だけなら気持ちがあれば成長もしていけるが、気持ちもないとどうしようもない。

例えば

・子どものトイレ指導にiPadを持ち込んで見ている。

・授業中もテレビ画面を見せている時にiPadを見ている。

 (一番後ろの背後を通られないような場所で音を消して見ている)

・バスから降りない子どもの対応中もiPadを持ち込んでずっと自分で見ている。

 (持って行かないように言うとリュックに入れて持ち込むようになった)

・子どもが帰った後の休憩中も学校のiPadでYouTubeを見ている。

 (シークレットモードで履歴が残らないようにしている)


指導ができないのももちろん。

・トイレ指導ができない。

 (結果ではなくPDCAサイクルで考えられない。「トイレ指導も」と言うべきか)

・その子どもに合った適切な教材がわからない。

 (時刻や時間がわからない子に文字のタイマー使って怒っても。。)

・子どもが言うことを聞かないと聞くまで脅す。

 (結果子どもが耐えられず大泣きして飛び出したり机を倒したりする)

・問題行動があると力で押さえつけ服従させる。

 (結果子どもから嫌われさらに大きな問題行動につながる)

・一方的に約束をさせてできないと、好きな給食を取り上げて食べさせない。

 (子どもは不満だけが残り問題行動がエスカレート)

・個別の指導計画も未熟で無意味

 (読み合わせをしない。目標も評価も実態に則していない)


倫理的にも

・職員室の机上で出勤後すぐにスマホの充電

 (程度の問題ではあるが)

・過剰な休暇
 (溶連菌で1週間とか。休日の前後休みが多く3連休4連休当たり前。微熱とか)

・指導の名の下子どもに怪我をさせ、前年度から毎日身体チェック表を課されていた。

 (見えない所でやる。その人が一人で対応した後によく傷がついていたが認めない)

・問題があっても苦手な保護者に連絡しない。

 (絶対にしない。何度言ってもしない)

・証拠がないと、空気を吸うように嘘をつく。

 (自分でも自分に都合よく記憶を変えているとしか思えない)

・胸が大きい女子児童が密着してくる状況を作ったり、ピッタリした服の胸にワッペンをつけたりする。

 (私が教室を空けた隙に付けていた)

・指摘されるのが大嫌い

 (能力もないのに、言われたことをやる気もない)


保護者も諦めていたようだが、もし訴えるとなれば私は保護者側の証人として証言する。

私が今まで関わってきた教員の中で突出して毒教員だった。

「できない、やる気がない」だけならまだしも「害」が大きすぎた。


特別支援学校は少人数クラスなので人目につかない場面も多く、問題も公になりづらい。

職員室や大人数のいる場では明るく元気な陽キャとして振る舞っていて周囲も気付かない。


管理職や学部主事に相談しても声はかけていたが、何も変わらなかった。

本当に最悪な教員だった。


2023年8月1日火曜日

教育現場への不満

 特別支援学校を3月で辞めました。

非正規なので辞めたというよりは、厳密には更新しなかったというのが正しいです。

snsで「学校を辞めた人が批判的なことを言わないで欲しい」といった趣旨のことを言っている人がいて、現場で不満もありながら一生懸命踏ん張っている立場の人からしたら、そう言いたくなる気持ちはわからないではありません。

ただ、誰のための場なのか疑問になるようなやり方や、保護者や子どもたちを見下したような態度を目の当たりにしながら、それを指摘できない改善できないのは本当にストレスで、その被害にあっている子どもたちを見ていると胸が痛んで仕方ないのです。

先生方は皆一生懸命で頑張っている人も多く、人間的にも指導力もすごくて尊敬できる人もたくさんいて、そちらの方が大半なのだと思うのですが、本当に特別支援の適性がない人や、やる気のない人が一定数いるのです。私が最後に組んだ人は、誰も見ていないと子どもを力ずくで押さえつけたり、対応しなければいけない場面から逃げ出したり、トイレ介助にスマホやipadを持っていって見ているような人でした。

「特別支援が向いているんじゃないかと言われた」と一般校から流れてきている無能の人もいました(中には一素晴らしい方もいますが)。適性がないというのはどういう点かというと「健常者がしていることを同じようにやらせようとする指導しか知らない人」とでも言ったらいいのでしょうか。

特別支援教育の知識がないと何でもありになってしまうような一面があるのです。目の前の子どもはどういう力を持っていて、何が必要か、どこを伸ばすと本人や周囲が楽に成長していけるようになるのか、そのためにはどういったアプローチが必要か、、、などなど肝の部分を全然考えられない人でも、それなりに形さえ整えていれば子どもの人数も少ないし何とかなってしまうのが現状です。

保護者も「この先生はダメだ」と思っても言えるわけもなく「元気で楽しく通えて良かったです」と本人の成長に全く期待していないケースも横目で見てきました。体裁だけを整えて誰も見ていない場で脅したり不適切な指導したりする教員を誰も止められないのです。

メンタルを病み病休に入る人は良心的な先生です。本当にひどい教員は子どものことなんて考えていません。既得権益を振り翳して権利を主張し、やりたいところだけをやり、偉そうに見えるところだけ出てきます。周囲からの進言を受け入れないし勉強もしない。公務員は一旦採用されるとその後はほとんどやりたい放題です。そういう人に限って福利厚生の理解はピカイチで限界まで制度を使いつくします。一応評価システムはありますが、悪い評価をつけると学校に問題があることになるため、可もなく不可もなくに落ち着きます。

どうしようもない人をどうにもできないのが教育現場です。子どものために保護者のために一緒に成長に向かって取り組んでいくのは楽しくやりがいもあり、再度働きたい気持ちはあるのですが、こういう問題ありの人と働くのがしんどくて二の足を踏んでしまいます。周囲を見渡してもいい先生はたくさんいるのに、どうして私はいつも問題ありな人と組まされるのか。


2009年9月12日土曜日

体育祭 凹みの巻

最近モチベーションが下がりまくりです。

体育祭シーズン真っ盛りで、私の勤務する学校も先日
体育祭が終わりました。
一番手のかかる生徒は一人でいることが大変苦手。
交流学級に行くのも一人だと行けないこともあります。
体育祭ともなれば尚のこと。
競技もあるし、演技もあります。

とにかく自信がないので誰か付いていないとダメだろうと
思われ、練習の時も一緒に付いていたので本番も同様に
必要なところに付くつもりでいたら、前日になって
担任は「体育の若い男性教諭についてもらおうか」と、
私もいるところでおっしゃいました。
担任は交流学級の足を引っ張るようなことをさせたくない
気持ちが強いようで、素早く動ける男性教諭にお願い
したいのだろうと思いましたが、私の気分は地の底です。

支援員の存在価値ゼロです。むしろマイ?
やっぱり支援員と言えど、若くないとなかなか使えない
ということなのかもしれません。
さらに、てんかん持ちの生徒が前日発作を起こしたため
当日も、またまたその若い男性教諭に付いてもらうと・・・

結果としては(担任が言っていた若い男性教諭ではない)
別の男性教諭が一部だけ付き、私は自主的に自分で
必要と思われることを目立たないようにすることにしました。

支援員は教員ではないので、役割分担もあるわけではないし、
担当の生徒に他の先生を付ける、となれば私のすることは
聞くまでもなくほとんどありません。
たぶん聞いても「先生は見てくださって結構ですから」と
言われるに違いありません(最初の頃「行事なども一人で
参加できるようにしたいので、支援員の先生方は木陰で
見ている程度でいいですから」ということを言われました)。

担任は体育祭の運営の方にかかりきりで、支援学級の生徒達は
最初から最後まで交流学級の中に入って、他の生徒達と
一緒に行動するようになっているので、右往左往していることも
結構あり、そちらで指示したり1人浮きがちなクラスの中で
声かけをして周りとのコミュニケーションを促したり、と
自分的に「支援をした」という納得感は得られる動きが
できたかなとは思いますが、心には重石が乗ったようでした。

悲しかったです。

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2009年9月6日日曜日

新型インフルエンザ

私たちの地域では、新型インフルエンザでの医療機関受診人数が
1週間当たり2人前後で、東京や大阪などの3人前後には至って
いませんし、現時点では近隣での学級閉鎖や学校閉鎖も聞こえてきません。

ただ友人の中学校では今週からマスク持参となるようですし
私の勤務する学校でも近々修学旅行があるため、患者が出たら大変
で、私もビクビクしながら生活しているような面があります。

私自身はあまり人混みにも出ないし、人脈も広くないので
伝染るとしても流行の最後の方かな、と楽観的に考えていますが
勤務先での感染源にはなりたくない一心で体調管理に励んでいます。

ネットでふと見かけた気になる言葉があり、調べてみると
やはりその通りで、また少し緊張感が高まりました。

国立感染症研修所感染症情報センターにCDCの文書
掲載されています。

「小児における新型インフルエンザ A (H1N1)ウイルス感染に対する
予防と治療の暫定的手引き」

(以下一部抜粋)
呼吸機能に影響を与えるさまざまな疾患、例えば知的障害や発達障害、
脳性麻痺、脊髄神経障害、痙攣性疾患、代謝性疾患、
その他の神経筋疾患などの子どもは、高危険群としてよい。

とのことで、支援学級の子どもたちはハイリスク群の子どもが多いと
いうことになります。知的障害や発達障害の子どもは呼吸機能に
影響を与えるというのは知りませんでした。

都市部から地方に流行が拡大していくのは避けられないのではないかと
思う部分もあり、どの時点で感染するかの違いだけじゃないかという
疑念も抱いてしまいます。今頑張って流行を先延ばしにして
一番空気の乾燥する3年生の受験シーズンに広がったりしたら
大変なことになりそうだと先々の心配もしてしまいます。

ぐるぐると止めどなく考えた結果、先のことを心配しても仕方ない
ので神経質にならずに、しかし目の前の子どもたちはハイリスク群である
という自覚を持ちつつ、勉強に諸活動に取り組むことが大事かなと
いう辺りに落ち着きました。

でもあの一般生徒の教室の人口密度を考えると学校での大流行は
やむなしと思わざるを得ません。

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2009年8月25日火曜日

WISC3講習会参加決定

勤務先の中学校から電話があり、数日前に私宛の封書が
届いているとのことでした。
そうでした、そうでした、知能検査は個人ではできない為、
全て職場経由でやり取りをする事になっているんでした。
結果の連絡が来ない来ないと思っていました。
で、結果は定員より申し込み人数が多かったので
抽選だったそうですが、参加できる運びとなりました。
中学校からその連絡をくれた先生が「今度検査する時一緒に」と
言ってくれたことも嬉しく、一生懸命やれば手を差し伸べて
くれる人がいるって本当だなぁと思いました。
それは、子どもの担任の先生が学年通信に書いていた言葉ですが
私にとってとても印象深いものでした。

本気でやれば何でもできる
本気でやれば何でも面白い
本気でやれば誰かが助けてくれる


確かになぁと思って感心していましたが、とにかく行動ありきですね。
この際出ていくお金については考えないことにします。

検査といえば、先日のセミナーでのWISC3の講義を受けていて
私は聴覚刺激が苦手なんじゃないかと気付きました。
年齢的な面からも短期記憶がアレな上に妨害刺激にも
めっきり弱いことを自覚しました。
認知症の検査にも一旦覚えた物を隠して、しばらく後に
思いだして答えるという問題がありましたが、
あんなタイプのものが非常に苦手です。

それを裏付けたのが、先生の話でした。
未だに理由がよくわからない部分もありますが、
その先生の話がほとんど理解できませんでした。
何を言っているのかよくわからないのです。
今まではそんなことは感じた事はなかったので
原因は何だろうと講義の時間中ずっとそればかり
探っていました。
そして至った結論は、言い切らないこと、
文章の途中に条件を後から挟み込んだり、
自分の中にあるものをそのまま全て思いついた順に
話したり、という辺りが原因かと。
その先生はきっと同時処理タイプなんだろうと
思います。
他の人は理解できたんだろうかと疑問です。
他の講義は全然そんなことを思わなかったので
おそらく、私自身にも非常に弱い部分があるんだと
思います。

というよりも、根本的な原因は全体的にもっと
脳の活性化が必要ということです。
間違いないです。

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2009年8月12日水曜日

免許ショック

放送大学でコツコツと単位を取って取ろうとしていた
特別支援教育の教員免許が、近くの大学で夏休み中に
取れてしまうことが発覚。
どうして私ってこうタイミングを外すんでしょう。

と、携帯メールから投稿してみましたが、ちゃんと
アップされていました。
凄いですね、今どき何でもできちゃいますね。

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2009年8月11日火曜日

WISC-Ⅲ講習会

今回のS.E.N.S養成セミナーは各種検査についてでした。

私は全く経験がないので、実際に検査となっても
到底できそうもなく、先生に伺ったところ講習会が
あるとのこと。(セミナーで一日勉強した位では実施
できるようにはならないと最初におっしゃいました)
もうやっていないかもしれない、とのことでしたが
帰ってから調べてみると、WISC-Ⅲは今まさに申込期間。

WISC-ⅢもK-ABCもそれぞれ講習会がありましたが、
お値段も結構するので、まずは大御所のWISC-Ⅲをと
考えましたが、昨日に引き続きここでハタと気付きました。
学校ではあるものの権限のない立場の仕事に就いていて
そんな検査の勉強をしてどうなるんだ?と自問自答。

二日間考えて、結果的に使えない技術だとしても
今やらないとこれから学ぶチャンスはないだろうと思い、
意を決して申し込みました。
人生前向きに、損得だけを考えずに自分が成長する
機会を増やしたいものです(希望的に)。

とは言っても、先生方は経済的に裕福ですがパートの
支援員は万単位のお金は大金です。
受けられることになったら、元を取るべくなりふり構わず
泥臭く勉強してきたいと思います。

定員をオーバーした場合には抽選とのことですので
もしかすると私のような緊急性のない立場の人は
落選かもしれませんが・・・

来年にはWISC-Ⅳが出ることが決まっているのは
ちょっと残念ですが、それまで待っている余裕は
私にはありません。

頑張ります。

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2009年8月10日月曜日

第2回S.E.N.S.養成セミナー

5月の連休にも開催された特別支援教育士養成セミナー
略してS.E.N.S.養成セミナーが8月7日~9日まで
シロガネーゼの街白金にある明治学院大学で行われました。

確か去年この資格を取ろうと思い立ちLD学会に入会し
(S.E.N.S.の資格を取るには学会入会が必須)
セミナーに申込ました。
講義内容は大変面白く、今回も待望だったWISCⅢや
K-ABCについての講習があり、短期記憶の衰えた頭で
四苦八苦しながら勉強してきました。。

しかし昨日検索してみたら、この日本ブログ村の
特別支援教育のジャンル内の大変有名な先生方も
取得されていることがわかり、ちょっと私には
分不相応なのかもしれないと思い始めました。

というのも、昨日の講義の中で参加者の仕事を聞かれた
のですが、その選択肢が「学校・施設の先生」
「専門機関の相談員・コーディネーター」「その両方」
というものでした。7割が学校の先生ということでしたが
私は本来「その他」に入るべき立場です。
講師の先生も参加者のことを「先生方」と呼びますし
私は果たしてここにいていいのだろうか、、、と
腰が引け気味でした。

その道を目指してはいますが、現状では教員になることすら
難しく、若くはない年齢も相まって少々凹み気味です。
いくら勉強したところでそれを生かせる職には就けなければ
宝の持ち腐れになってしまいます。

って今頃気づくな、と我ながら思いましたが、
思いついたら周りのことが見えなくなるのはメタ認知が
弱いからかもしれません。
私は発達障害の子どものに似ているなぁと思う今日この頃です。

判断基準の「著しい困難」こそないものの、得意不得意の
バランスが悪いといろんな面で困ってしまいます。

でも人生無駄な事はひとつもない!・・・はず。

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2009年8月2日日曜日

特別支援教育研修会

過日、市内の支援員対象の研修会がありました。

前回の春の研修会で「支援員同士の情報交換も必要」
という意見に「またそのような機会を持ちます」との返答
だったので、私たちは大変期待して参加しましたが、
実際は支援に関するレクチャーと規則の変更などの
説明で終了しました。

そのレクチャー自体は面白く、ためになりましたが、
一番問題の支援員それぞれが持っている悩みや困難など
共有する時間は用意されていませんでした。
時間が長引くと支援員の給料が増えてしまうから
必要最小限の内容だけにしたのでしょうか。

そのレクチャーの中で、講師の方が最初に参加者に
支援員の現状についてアンケートを取りました。
その結果は色々ありますが、学校で担当の先生との
コミュニケーションを取る時間がないこと、担当の生徒に
対する指導や指針はほとんどない状態で日々子どもたちに
接している支援員が大半であること、などが印象的でした。

前回の研修会後に話をした他の学校の支援員さんと
「果たしてやる気があるのか・・・」と疑問を持って
しまいました。

現場だけが右往左往しているって感じです。

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2009年7月25日土曜日

私は親の立場に近いかも

自分のしていることや考えていることを
客観的に見てみると、私はきっとその子どもを
持った親の立場なんじゃないかなぁと思います。

1人1人の子どもの親になったつもりで見ていると
「私が親の立場だったらこれは怒るだろうな」とか
「もっとその子の将来を考えてあげてほしい」等々
かなりピンポイントに絞り込んだ思い入れが
あるんじゃないかと最近気が付きました。

裏返すと私には「教師」というような皆をまとめたり
上から子どもたちを引っ張り上げたりリードしたり、
全体を動かしたりすることはできない、ということです。
視野が狭いというか、枝葉に目が行くというか・・・

今も、ある生徒には将来を考えたらもう少し別の
対応がいいんじゃないか、どうして先生は先のことを考えて
やらないのかと思ったりしますが、それも良く考えると
親的な考えなのかもしれない、と思っています。

それがいいのか悪いのかよくわかりません。

先生方はなんだかんだ言っても優秀ですし、
経済的にも裕福で、子どもも優秀な成績の
場合が多いから、そういう子どもを持った親の気持ちは
わからない人も多いと思いますし、親や本人の
困り感は伝わりにくいと思います。
先生が親の気持ちをわかる必要もないとは思いますが、
学校というのは卒業すれば終わりです。
親はその子の親であることは一生です。

中学校というのは個を尊重する場というよりも
公を優先する場であるように感じます。
社会性を身に付ける第一歩の場として、ルールや
規律は大変重要だとも思いますが、その中で
皆と同じ土俵でできない子どもはどうしても
はじかれてしまいます。
特別支援学校では十分行われているのでは
ないかと思いますが、一般学校では理論に現場が
ついて言っていないのではないかというのが実感です。

特殊教育から特別支援教育へという勉強を今
していますが、一般の中学校ではまだまだ遠い
道のりなんじゃないかと思います。

特別支援学級であっても普通クラスであっても
義務教育である中学校で問題になり、学力も危うく
家庭環境も不安定な子どもを見ていると
将来のことが大変心配です。
別室登校や問題行動があっても、人生のどこかの地点で
巻き返しができそうな子と「そうでない子」がおり、
「そうでない子」が結構いるように感じます。

その子たちが社会に出て行く数年後に
危機感を抱いています。

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感じていること

【生徒に対する支援か先生に対する支援か】
これはどちらも必要でありながら、やっているうちに
疑問を持つこともしばしばです。
というのは、生徒に対する支援だけを考えていると
先生の意向とズレが生じてくることがあるからです。
逆に先生のやりたいことを重視して支援していると、
生徒によってはかなり無理があっても、指導優先で
結果だけを求めることになりがちです。

子どもの問題を考える時、本人への支援ももちろん
その親への支援が結果として大きな力となるように
学校でも然りだと感じます。

ということを考えたのは、以下のような思いがあるからです。
特別支援の勉強を始め、中学校で働き始め、感じたことは
特別支援に関わりのない一般先生方が、今までの考え方や
やり方を見直す必要があるんじゃないかということです。

特別支援関係の勉強をしたり、講座を聞きに行ったりしても
どう考えても、直接特別支援に関わっている人達ではなく
その他の人達に理解してもらいたい、と思える内容だからです。

特別支援担当であっても、理解の乏しい先生もいます。
その意を汲んで動く支援員という立場は、非常にもどかしい
思いをすることが多々あります。

【支援員は通年必要か】
手厚い支援が必要な時期も確かにありますが、
一旦落ち着いて流れだしたら、徐々に手を引いて行くのが
支援の理想だと思います。
ただ契約上は1年間という区切りがあり、手を引いて行く
ことが結構難しい状況にあります。

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2009年7月5日日曜日

不登校の生徒の所属先

学校に来られなくなった生徒は特別支援学級適応
なのでしょうか。
一時的に避難する場としてはいいかもしれませんが
在籍して卒業までそこにいることは果たして本人の
ためになるのか疑問な生徒がいます。

知的障害もなく発達障害などの診断も受けていません。
支援学級(知的)に移った経緯は色々あって学校に
来られなくなったということですが、現在の生活ぶりや
態度から見ても知的障害も情緒障害もありませんが、
非常に依存的です。

発達障害が小児神経であるなら、その生徒は小児精神の
方面でのフォローが必要そうに見えます。

最近は毎日学校にも来られるようになっていますし、
学習面では支援学級に在籍してある程度の期間が経過して
いるのでその間の遅れはありますが、基本的には
特別な支援は必要ありません。

生活面にやや不安がありますが、当初から見ると
ほぼ回復したと言って良い状況です。

私はこの段階では、ベースは支援学級だとしても
得意な教科などからなるべく元のクラスに
戻す方向で少しづつ動いた方がいいのではないかと
感じています。

その生徒は中学校を卒業したら特別支援学校への道は
ないので、いつも注目を浴び、かまってえもらえる
支援学級の世界から放り出されます。

そこで生きていけるのだろうか・・・答えは否です。
卒業したら、運よくどこかの高校に入っても
あっという間に不登校という道筋が目に見えるようです。

現在の「トップクラスな私」「人の世話をしてあげる私」
でも「何もできない私」が全て通る支援学級で、何の努力も
苦労も経験せずに送り出していいのだろうか、と
疑問を感じずにはいられません。

その生徒は努力しなければならないことは
自分からはやりませんし、掃除などの作業も先生が
見ていなければさぼります。
持ってこいと言われたものも持ってきません。
でも授業中は「別格の生徒」としてリードするような
立場で、頼まれることも度々です。

態度などを叱られても、聞いてはいますが反省も感じられず
他人事のようで右から左へ抜けています。
なぜなら授業中にその評価を晩回できるからです。

最近のその生徒の様子を観察していると、
支援学級にいることがマイナスなのではないかと
感じ始めました。

自分の人生を何だと思っているんだ!

とその生徒に言ってやりたい気持ちに満ち満ちている私ですが
どこからどのように切り込むか思案中です。

※誤解を生む表現があったので一部書き換えました。

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2009年6月30日火曜日

ふっふっふ

中学校に入って以来(小学校時代から)学校で
給食を食べなかった生徒。
支援学級に在籍している、いつも明るく楽しい
性格の人気者です。

その生徒は支援対象ではないのですが、我々から
申し出て一緒に給食の時間を過ごしています。
その生徒は食べ物の話をするのもタブーで
「どんな食べ物が好き?」「今朝は何食べた?」
等の質問にも表情を固くしたまま硬直し
一切答えませんでした。

支援員と給食の時間を過ごすようになり、
牛乳を飲む事はできるようになりました。
次のステップとして食べ物を目標にしていますが
最近食べ物も一口だけですが食べさせることに
成功しました。

ポイントはふたつ。

その生徒の嫌がる部分に触れないようにすることと
叱らないこと。

その生徒は「給食を食べない生徒」である自分を
守りたいと思っているように感じます。
ですのでその部分を尊重し、我々も食べていない
という前提で接しています。
加えて「給食時間の事は秘密で誰にも言わないよ」と
毎回確認するように伝えています。

まず最初は「我々は怒らない」ということを繰り返し
伝えました。
食事中に言うことはタブーとされているような
言葉を次々と言っては我々を試していましたが
「ぜ~んぜん平気、怒らないよ~」と笑顔で返し
こちらも負けじとタブー言葉を使って、怒らない人である
という安心感を積み上げました。

そして最近は食べ物に対する拒絶的な態度が減った
ようにも感じますし、今日は私の前で指に付いたソースを
なめるという嬉しい場面に出会いました。

ふっふっふ・・・
ふわっふわっふわっ・・・

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2009年6月24日水曜日

支援対象生徒の転校

支援対象となっている生徒の一人が転校することに
なりそうです。
その話自体にも衝撃を受けましたが、我々のその後も
気になります。
現状でも支援員二人はちょっと支援が多すぎかなと
感じていたところへ、一番手のかかる生徒が
転校するという話が浮上してきました。
夏休み前には決定して転校となる可能性が濃厚です。

そうすると我々は一体どうなるのでしょうか。
その生徒がいない授業はほぼ支援の手も必要ないくらい
落ち着いていますし、明らかに人がダブついている感が
あります。

契約は3月末までなので、ここでチョキンと切られる
ということはないでしょうが、考えられるのは
要請がありながらも通らなかった学校への移動です。

今の現場に1人残るのも嫌だけれど、新しい学校に
これから移るのもストレスだし、だからと言って
人手の必要ない状況での勤務も辛いものがあります。

ちょっと八方塞がりです。

でも八方塞がりって実は天井は開いているんですよね。
横ばかり見ずに上を見て行きなさいってことでしょうか。

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2009年6月23日火曜日

疲弊する学校

疲れ切った私の目のせいか、中学校という現場は
非常に疲れて擦り減っているように映ります。

何年か前から明らかに生徒の質が変わった、と
先生方はおっしゃいます。
幼くなった、自主性がなくなった、自己中な子どもが
増えた、などなど。
過去の輝かしい実績があった頃と比べ行事なども
酷くなった、と嘆いています。

今の中学生は確かに問題を抱える生徒も増えて
いるのではないかと思います。
実際、実技系の授業では散らかる汚れるが
酷く、これじゃ先生も授業後大変なわけだと
問題の一端を垣間見た気がします。
生徒やその親の問題もあるのでしょうが、
微妙に先生方の問題もあるように感じます。

綺麗事と現実のギャップというか
世の中の空気感の変化に鈍感というか・・・
地域性なのか、この辺りは力で押さえつける
昔ながらの指導も容認という雰囲気ですし、
その弊害については無関心です。

色んな事に追い回されて、真面目な先生方は
一生懸命にやっていますが、なかなか結果は出ず
認めてくれる人もおらず、熱く教育を語る人も見当たらず
疲弊しているように感じます。
前任校でもいましたが、大丈夫かなと思う先生もいて
ちょっと心配です。

最近学校で先生方が怒りまくっています。
あちらこちらで生徒が怒鳴られて(叱られているようには
見えない)います。
事情を知らずに見かけるだけですが、心がざわつきます。

先生方のイライラがそうさせているようにも見えます。
原因があるんでしょうが、やめてくれ~と叫びたい
気持ちで一杯です。
ストレスはやっぱり弱者に向かう、と感じてしまいます。

せめて人目につくところではなく、2人だけで話せる場に
行って叱ってやってくれと思います。
人前で怒鳴りつけられる生徒の気持ちを考えると
心が痛みます。

個人的に怒鳴り声が非常に苦手です。

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2009年6月20日土曜日

支援員の役得

タメ口で偉そうな生徒がここ数日偉そうではありません。
まず周りの生徒にあれやこれやダメだしをしているのを
聞かなくなりました。
まだ先生のアドバイスを無視して自分のやり方を
押し通すこともありますが、先生の話を聞き
先生の指示に従ってできる授業もあり、そんな時は
非常にその生徒も充実した終わり方ができます。

さらに休み時間にクラスメイトに苦手な勉強を
教えてもらう、というその生徒にしてはかなり
下に降りた態度でクラスメイトと接することが
でき始めました。

教える側にしてみれば、「教える」側ということで
ちょっと嬉しく、比較的優しく接してくれます。
そうした暖かい横の関係がなかった生徒にとっては
心地よい新しい発見となったようで、言動が落ち着き
他の人にも教えてもらいに行っています。

最近辛辣なコミュニケーションばかりだった生徒に
心安らぐ交流ができている様子が表情から伺われ
ふふふと内心ご満悦の私です。

あと割り算を前に頑としてプリントに取り組まなかった
生徒も割り算一歩手前の穴埋め九九を克服し
最初に首を横に振った割り算プリントにも挑戦しました。
その生徒にとっては久々に長い時間集中して取組め、
笑顔で完成を皆に見せていました。
そんな姿を見た私も内心鼻高々です。

どちらも直接私が手を貸したわけではなく、間接的に
プリントを用意したり、近くから見守ったり
励ましの言葉をかけたりの関わりですが、その結果
生徒が心からの笑顔になる瞬間を目撃することができる、
ということは時間単位で移動する先生方には得られない役得です。

できた瞬間を一緒に味わうことができるというのは
本当に楽しいもので、濁りのない彼らの笑顔は眩しく
心が洗われます。

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支援員の憂鬱

支援員は学校の職員ではありません。
ですから学校の組織の中に入れてもらえることはありません。

前任校では朝の職員会議から参加する日もあったので
学校全体の動きも若干感じられましたが、現在の学校では
1時間目が始まる時間ジャストから勤務開始なので
学校全体の方向性など全く見えませんし、職員室で
過ごすこともほとんどありません(二人で一つの机を
いただいています)。

先生方との接点も少なく、普通クラスで支援対象の生徒が
学校に来ているかどうかもわかりませんので、毎日
その子の靴箱を確認するのが日課になっています。
靴がない場合は、担任の先生に欠席か遅刻か確認します。
先生方の状況や授業の振り替えなどもわからないことが多く
注意していないと生徒と一緒になって路頭に迷ってしまいます。

職員会議はもちろんのこと、特別支援関連の会議にも
数には入れてもらえません。
会議は日々支援員が関わっている生徒2名も議題となって
いて、その資料も作成されています。
でも他の一般生徒も取り上げられていることもあってか
我々は資料ももらえません。

その資料を見せてもらうと、現状と今後の目標などが個々に
書いてあり、我々にとっても大いに関わりのあることですが
そこに我々の入る余地はありません。

学校全体で困り切っている一番問題が多発する時間帯に
指示もなく、支援員だけをポンと現場に放り込みながら、
どうしていくのかという話し合いには参加させずで
単なる捨て駒のように感じられ、改めて虚しいモードに
入っている今日この頃です。

こうしてくれ、という方向性も指示もなければ、
我々から見てこうだから、こうした方がいいのでは?
などの提案も求められていない、言うなれば
往来のない孤立した立場のように感じます。

部外者なんですねぇ、支援員はやはり・・・
わかってはいるもののテンションが下がります。

じゃあ会議の後、方向性が決まって何らかの指示が
あるのかと思えば、(おそらくですが)そうでもなく
単に上層部に報告することが目的のような会議に
なるのではないかと思いますが、同じ問題に
向かっている者として仲間に入れてくれませんか?と
言ってみたい衝動にかられる非力な支援員なのでした。

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2009年6月18日木曜日

意見が食い違う時

先生にもタメ語で話す生徒への対応をずっと
考えていましたが、最近私なりに考えがまとまってきました。

先生と(大人と)タメ口ということと、友人関係が
結べない、ということに関係があるのではないか、
と思い当りました。

鶏と卵ではないですが、大人と対等なつもりでいるから
友人関係も同じように接してはじかれる、のか
友人関係がうまくいかないから大人との対等な関係に
走ってしまうのか、それとも全然関係ないのか・・・

どちらなのかわかりませんが、いずれにせよ
大人と付き合うにも友達と付き合うにもマイナスにしか
ならないのでタメ口はいちいち指摘するようにしています。
(全てタメ語なので全部に反応するのは結構大変)

次に気が付いたのが、友達への言葉かけ。
この生徒は偉そうな態度が常なので、自分がわかって
いる事は、クラスメイトにもまるで小さい子を
諭すような口調で「○○しようねぇ」とか
「○○しないといけないよ」などと言ったりします。
必要以上に上から目線で、反感を買うことも多いので
これをやめさせるようにしようと画策中でした。

①クラスメイトに対して、本人が困っている時でない限り
ああしろこうしろと指示しない。
②クラスメイトが間違ったことをしたり、だらけていても
注意するのは先生。

という方向で話をしようとしていたところ、先生が
真逆のことをおっしゃっていました。
仲間同士で良い答えを教えてあげる、というのは
とても良いことだと、間違ったことを注意してあげるのは
良いことだということです。

う~ん、そうかそこの考え方が違う~、と気付きました。
クラスの中でミスを指摘し合う姿はあまり美しくないし
変な力関係ができてきて、あまりいい雰囲気ではない
ように感じます。
私的には、そのタメ口の生徒には①②の考えは
伝えたいことでもあったし、横の対等な関係を築くのに
重要だと思っていただけに、ちょっと
戸惑っています。

人が10人いれば10通りの考え方があるんですねぇ。

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生徒に合わせること1

私の入っている特別支援学級の担当の先生は
とても力のある方です。
学校内でも地域の中でも名前の通った先生で、
過去の普通学級での取り組みも生徒達を上から
引っ張り上げ、持っている力を最大限に出させる
ことができ、生徒達からも一目置かれている人物です。

こういう先生が特別支援の担当になることは
大変意義のあることだと思います。
まず、校内でやりたいことの意見が通ること、そして
生徒の後ろ盾として交流学級担任の先生からも
配慮が受けやすいこと、そういったことから
生徒達自身の自信・安心につながること。
故に、非常にアクティで活動の幅が広く、
様々な経験が積め、生き生きと学校生活が送れています。

一方でひとつだけひっかかっていることがあります。
それは、普通の生徒と同じ環境で自立して食らいついて
いくことを目指していることです。

一般の中学生の中に入っても、わからないことは
自分から聞き、できなくても積極的に参加していくような
「生きる力」をつけさせたい、とおっしゃいます。
通常の中学校に在籍するからには、それが前提だと
いう考えです。

確かにそういう一面は実際に必要でもありますが、
特別支援学級の生徒達が一般の生徒達に合わせるのは
無理があると私は思います。
そもそもそれができないから支援学級に入ったわけです。

支援学級の生徒達は他の人よりも手持ちのカードが
少ない状態でゲームに参加しているようなものだと思います。
学力、体力、家の経済力、容姿、愛嬌、人間関係力、
空気読み力、などなど・・・
その中でも強力なカードである学力、体力、人間関係力、
空気読み力などが弱い支援学級の生徒は、同じ土俵では
不利ですし、それは本人たちが一番よ~くわかっています。

その「持たなさ加減」が、力のある先生には
わからないのかもしれないと感じます。
言いたい事はわからなくもないのですが、
カードを持たずに参戦することの無力感ややりきれなさが
「できる先生」には理解できないのかもしれないなぁと
思ったりします。

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2009年6月15日月曜日

問題が多い中にも光はある

今日も問題の多い一日でした。

あの件がまたああなってこうなって心配だし、
例の件はついにまたぶっとびな展開で一同
疲れて終わったし・・・

とそんな中で今日もひそかに嬉しいことがありました。
それは数学の割り算を前にして固まり、頑として
課題をやろうとしなかった生徒が、その割り算の壁を
乗り越えつつあります。

授業で用意されている一般の中学生用のプリントでは
もう理解できないところまで来ており、全然取り組まなく
なってきていました。
先生方とも相談し百ます計算や個別の掛け算課題を
やってきていましたが、同じことの繰り返しになっていたので、
そろそろ割り算にも挑戦させたいと思っていました。
小3程度の9÷3=○のような割り算プリントを用意していき、
本人にやってみるかどうか確認してみましたが
首は横に振られました。

そこでその旨先生に伝えると、小学生の計算ドリルから
5×○=15のような問題を探しだしてくれました。
それをやるかどうか本人に確認したところやってみると!
それができ大いに先生に褒められると次の15÷5=○
という割り算問題まで一気にできました!

その先生は生徒が指示に従わない時も怒ったりせず
柔軟に対応してくれる特別支援向きな先生です。
先生方は忙しいこともあり、普通は我々が現状を説明しても
なかなか即行動はしてくれないし、自分のやり方を貫き通す
ことが多いですが、この先生は我々の意見にも耳を傾けてくれ
実践してくれるので「一緒に生徒達を育んでいる」という
実感が持るし、生徒の実態に合わせた働きかけができて
実りが多いです。

実際にその生徒がどこまでできるのか引き継ぎもありませんので
目の前の生徒ができるかどうかを目で確認してやっていく
しかありませんが、とにかく一歩前に進みました。

私は裏から「こんなのがいいんじゃないでしょうか」
という話を持ちかけただけですが、それが功を奏して
生徒が「できた感」を味わえた時を目の当たりにし
心の中で小さくガッツポーズでした。

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