2009年7月25日土曜日

私は親の立場に近いかも

自分のしていることや考えていることを
客観的に見てみると、私はきっとその子どもを
持った親の立場なんじゃないかなぁと思います。

1人1人の子どもの親になったつもりで見ていると
「私が親の立場だったらこれは怒るだろうな」とか
「もっとその子の将来を考えてあげてほしい」等々
かなりピンポイントに絞り込んだ思い入れが
あるんじゃないかと最近気が付きました。

裏返すと私には「教師」というような皆をまとめたり
上から子どもたちを引っ張り上げたりリードしたり、
全体を動かしたりすることはできない、ということです。
視野が狭いというか、枝葉に目が行くというか・・・

今も、ある生徒には将来を考えたらもう少し別の
対応がいいんじゃないか、どうして先生は先のことを考えて
やらないのかと思ったりしますが、それも良く考えると
親的な考えなのかもしれない、と思っています。

それがいいのか悪いのかよくわかりません。

先生方はなんだかんだ言っても優秀ですし、
経済的にも裕福で、子どもも優秀な成績の
場合が多いから、そういう子どもを持った親の気持ちは
わからない人も多いと思いますし、親や本人の
困り感は伝わりにくいと思います。
先生が親の気持ちをわかる必要もないとは思いますが、
学校というのは卒業すれば終わりです。
親はその子の親であることは一生です。

中学校というのは個を尊重する場というよりも
公を優先する場であるように感じます。
社会性を身に付ける第一歩の場として、ルールや
規律は大変重要だとも思いますが、その中で
皆と同じ土俵でできない子どもはどうしても
はじかれてしまいます。
特別支援学校では十分行われているのでは
ないかと思いますが、一般学校では理論に現場が
ついて言っていないのではないかというのが実感です。

特殊教育から特別支援教育へという勉強を今
していますが、一般の中学校ではまだまだ遠い
道のりなんじゃないかと思います。

特別支援学級であっても普通クラスであっても
義務教育である中学校で問題になり、学力も危うく
家庭環境も不安定な子どもを見ていると
将来のことが大変心配です。
別室登校や問題行動があっても、人生のどこかの地点で
巻き返しができそうな子と「そうでない子」がおり、
「そうでない子」が結構いるように感じます。

その子たちが社会に出て行く数年後に
危機感を抱いています。

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2 件のコメント:

スキップ さんのコメント...

最後の10行について、同意しております。
学力もそうかもしれませんが、自分の思いを伝えづらい、人の想い・空気感が読み取りづらい(あ~、嫌いな表現です)部分があると社会に出たとき、やりづらいのかなと…具体的には書きません。

私自身は、曖昧な立場を逆利用して、「ぶっちゃけばなしの出来る大人」を目指しています(笑)。…方向性、間違っているかも?
基本、私が介入できる部分は限られている。SCさんが母親的立場でいらっしゃる。
普通学級でも社会に出ても外では多少の社会性をかぶりつつ、ちらっと本音を明かせる人ってなかなか出会えないものですよね。
だから、特学のお子さんが「家族へ暴言はいちゃった。だって、反抗期だもん。」なんて言ってたら、「わかるよ。でもサ、同じくらいの子供がいる私が聞くと心に刺さるわ~。うう・・(倒れるフリ)。反抗期っていう言葉に甘えすぎても辛いのよ。親だって人なんだしね。」なんて、私の子に言ってやりたい事を言っちゃってます。
社会性を身にまとった大人なセリフが返ってきたりします。よしよし。

日によって感情の波はあるのも本人達は解っている(ハズ)。そこを肯定しながら、自身でカバーできると10年後、もっと言うなら保護者の方がご健在ではなくなってもやっていけるんじゃないかと(甘いけど)考えています。難しいですが。

差し出がましいですが、他の方のコメントも参考にさせて頂きたく思います。

もじもじ さんのコメント...

スキップさん
ご無沙汰しております。夏休みに入りましたね。
学校とは縁のない生活となって現場感が薄れてきました。

そういえば、こちらの特別支援の子どもたちは家でのことを全く話しません。不思議です。
クラスの雰囲気なのか・・・
なんかひとつヒントをもらった気がします。

そう、あとスキップさんのおっしゃてることは「自分を客観視する目を持つ」ということとも繋がっているように思いました。

あ、私にも当てはまるか(笑)