2009年1月28日水曜日

学校の思い担任の思い私の思い

どうにも手がつけられなかったといういきさつもあり、
モニカ(仮名)には細かな指導計画なんていうものも存在しない。
というより厳密には、私には知らされていない。
私は一体何をすればいいのかわからなかった。
最初だけは上手くいったけれど、先生や私の指示に従わなくなり、
次第に荒れていた頃に戻っているらしい。

過去の経緯や本人に聞いた話を総合しても、私から見ると
3月までの間はトラブルなく落ち着いて学校に通えれば
十分ではないかと思われて仕方ない。

本などを読んでもモニカのことではないかと思われるほど
症状もぴったり一致しており、生育環境による強烈なダメージが
モニカに大きな影を落としているのは明らか。
それはそう簡単には変えようもないもののように感じる。

そう、現状認識が甘すぎるのではないか?

一般クラスの不登校の子どもには別室登校を認めているのに
支援級の子どもには認めないのはなぜだろう。
親学級に入れないことをどうして聞き入れてくれないのだろう。
「好き勝手は許されない」先生方はそう言うけれど
だからと言って無理強いすれば、結局また荒れた状態に
逆戻りするだけのように思えて仕方ない。
モニカには不適応があっても不登校になる事すら許されていない。
誰もモニカの責任を取れない。
暴れるしかないじゃないか、と思う。

学校は学校の都合が優先だし、担任は担任の仕事を
しなければならない。そこからこぼれた子どもは行き場を失う。

もう少し学校も柔軟に対応し、本人たちに合った支援ができないものかと思う。
そもそも本人たちも交えて何ができて何ができないかを
話し合えないものだろうか・・・
担任が学校がしてもらいたいと思っていることと
私がモニカができそうだと思うことには大きな開きがある。

私には彼女たちも「ここまでは頑張るからここから先は無理」と
精一杯の努力をしようとしているように見える。
嘘もついたりごまかしたりもするけれど、本人たちとは別のところにある
ルールを外から押し付けても長い目で見たらいいことはないと思う。

私が何もできないのは力がない事と同時に
彼女たちの苦しみがひしひしと感じられてしまい、
形にはめようとすることができないからかもしれない。

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2009年1月24日土曜日

非常にうまくいきません

確かに学校側の硬化した態度と、子ども側の生育環境の
問題もありますが、さらに支援員として入っている私と子どもとの
関係がうまくいきません。

ここしばらくハイテンションな様子でもあったので、あまり
関わらずに様子を見ていましたが、収まる気配がなく
日に日に緊張感が高まる一方です。

2学期までは手がつけられなかったとのことだったので
支援員として私が入ることになったのですが、2週間ほどで
とうとう元に戻ってしまったか、というのが大方の先生方の感想です。

ハイテンションになっていく原因のひとつが「親学級に戻れない」
というものもありましたが、何かの原因でイライラし始めると
自分で解消できず、次第にエスカレートしてしまうことです。

悲しいことは、一人が荒れてくると空気が張り詰めて、
周りの子どもが異常に大人しく良い子になってしまうことです。
感情の落とし所が見いだせないことと、
自分で自分の感情をコントロールがきかないことは他の子どもでも
共通して感じられます(思春期特有のいらだちもあるかもしれませんが)。

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2009年1月19日月曜日

緊張しっぱなし

支援員としての立ち位置がわからない、ということは
つまり、非常に緊張していて落ち着きがないということです。
休みが続いた日の次の日など、朝家を出る前から緊張して
トイレが近くなったり、ソワソワしたりとまだまだなじめません。

先生方はよくあんなにリラックスして集中して連日
子どもたちに接しているものだと感心するくらいです。
というのも、どういう対応でどんな支援・声かけをしたらいいか
その場その場で判断をしなければならない状況が多々あり、
1人1人がユニークで、思春期真っ只中の中学生であることも
手伝って一触即発の時も少なくありません。

「今この状況にどう対応すべきか」

危機的な状況に、ない頭をふり絞ってその子に今必要な言葉を
探し冷静にさせることに私なりに全力を注ぎます。
その言葉に反応して落ち着いてくれると、これで良かったのかと
確認したり、もう少し別な面から介入した方が良かったかとか
あのやり方がまずかったから次の行動を引き出してしまったとか
一つ一つ確認しながら動いています。

普通に考えて良かれと思うことが必ずしもそうではなく
時として全く逆効果なこともあり、周りの大人の対応一つで
こうも子どもの気持ちや行動に変化があるのかというくらい
周囲の対応は大切だと思い知らされます。

現状、私の行動一つで落ち着いて下校まで過ごせることもある一方
ちょっと対応を間違うと、大変なストレスを抱えさせてしまい
下校まで過ごすことが危ういこともある紙一重の状況が続いています。

でも教科によって教室移動をしたり、先生が変わったりするので
子どもの状況を掴みにくい中、私のようにずっと付いていると
朝からの流れがよく見え、「あの一言が後を引いてるな」とか
「あの活動のストレスが大きかったから少し休ませてもいいかも」とか
子どもたちの調子がある程度わかります。
その利点は今後も生かせそうです。
先生方はずっと付いて見ているわけではないので、今調子がいいのか
悪いのかを把握しずらい面もあると感じました。

個人的にはやはり午後や全校集会の後など疲れが溜まってくる
時間帯は無理をさせない方がいいように思うので
子ども達の事情に合わせてもらえるよう何かの形で先生方に
伝えて行ければいいなと思います。

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2009年1月15日木曜日

支援員の立ち位置

私は支援員の仕事は初めてだし、周囲に同じ立場の人もおらず
研修会やら講座なども参加経験がないので、他の人が支援員として
どのように動いているのか全くわかりません。
希望的には採用の段階で教育委員会なり関係機関が研修会をしてくれると
ありがたいなぁと思います。

小学校の普通クラスの子、支援級に入ってる子、
中学校の普通クラスの子、支援級に入ってる子、
所属よっても違うだろうし、男女によっても違うだろうし、
支援員個人の能力もあるだろうし、それぞれケースバイケース
なんでしょうが、立ち位置がまだよく掴めません。

支援員は何かを教える立場ではないので、一応「先生」を
呼ばれながらも一般の先生方のようにリーダーシップを発揮する
ことはありません。
決めたり指示したりすることもないので、子どもたちから見ても
じゃぁ一体何をする人ぞ、という感じも否めません。
現状では私は自分のことを「子どもたちを勇気付けたり励ます役割」と
位置づけて本人なりに頑張っている点をピックアップして言葉にする
ことに力を入れています。

たまたま先日帰りのホームルームが終わった後少し時間があり、
子どもたちと話している時にこんな会話になりました。

A子:「先生は何をするためにいるわけ?」
私:「私は本当の先生じゃないから、授業をしたりあなた達に何かをさせたり
   評価したりすることはないよ。」
A子:「この学校でこれから先生になりたいわけ?」(教育実習と思っている?)
私「いや、ならないと思う」
A子:「じゃぁ何?何なの?」
私:「皆はさ、しちゃいけないこととかこうしなきゃいけないことは
   注意されるけど、これはナイスとかいいことをした時は言われないでしょ。
   私はそれを言葉にして皆に伝えたいと思ってるのよ」
A子:「ふ~ん」
私:「あと苦手だけど誰かが手伝ってくれればできそうだ、ということに
   手を貸す役。」
A子:「ふ~ん」
私:「一人だったら参加できないけど誰か一緒ならできそうって感じてるなら
   周りの大人は本当は手を貸したいと思っているんだよ。
   私ならいつでもそういう手助けができるからね」
A子:「ああなるほどね」

と納得してくれたのでした。

さらに担任との関係が重要ですが、四六時中支援員に監視されて
いるかのような状態というのも負担なのではないかと
思ったりもします。
私は現場が中学校なので各教科先生方や、5教科以外は
親学級に戻るので色々な先生方と接します。
言葉で言われたわけではありませんが、基本的に学校というのは
先生よる王国的な側面があるので、生徒以外の大人が入るということに
抵抗感がある人が多いように思います。
問題がある子がいても「あぁ大丈夫ですよ」という雰囲気。
その子にとって支援員が必要かどうかという視点ではなく、
自分の力でまとめられるし手助けは必要ない、という視点です。

大人が一人加わることで、盛り上げたり空気を柔らかくしたりする
ことに柔軟に受け入れてくれる先生もいるし、どこまで参加したら
いいのか読み辛い先生もいます。

各教科の先生方に、どのように問題点があってどのように関わっていったら
いいのか聞いてみようかと思っていますが、「いやぁ特にないです」
と言われそうな気もします。
私の担当の生徒は夏以降ほとんど学校に来れていない状況
が続いていて最近ようやく学校に来ることができた段階なので、
徐々に少しづつ進んでいけたらと思います。

今は多くを求めず、あなたはそのままでOKというメッセージを
沢山送りたいと思います。

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2009年1月8日木曜日

先生との距離感

何十年振りかで自分の子どもも通う「中学校」という現場に
足を踏み入れてみてまず感じたのは先生と生徒の距離感。

全く同年代の子どもが家にいると、普段子どもたちが
話していることや考えていることがかなりわかる。
そういう目で先生を見ると、その両者はかなりかけ離れた存在だ。
それが特別支援学級の特性なのか学校全体なのかは
わからないけれど、とてつもなく遠い存在であることは確か。

「生徒から見ていると」先生というのは傍若無人な権力者。
それに従っている生徒たちの従順さが異様にも思えてくる。

実際には先生と生徒は節度をもって親密な間柄なのかも
しれないけれど、そのギャップに驚くばかりだ。
学校という所は本当に不思議なところだ。

中学生ってもっと大人だし力もあるのに、なんだか能力がない者の
ように行動させられちゃってる感じがする。
もったいない。

でも私が行っている学校は、学力も低く問題の多いところだけれど、
とても純粋な子どもが多く、そのまま保存しておきたいようなところだ。
何とか皆元気に活気溢れる学校生活を送って欲しい。
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2009年1月6日火曜日

今年の抱負

簿記3級を取る。
通信教育で特別支援知的障害の免許を取る。
特別支援教育士の認定に向けて勉強を始める。

随分と大きく出ました私。
実際現在ですら支援員として全く素人で
うろうろしているだけの私ですが、
何とか少しでも力をつけたいです。

特別支援学級の担任からもコーディネーターも
私にどう動いてもらいたいかという指示はなく
計画もおそらくないと思います。
何を目標にどう動けばいいのかわかりません。

一方で誰か一人に個別の計画を立てたところで
どうしようもない、というくらい全体的に大変な
学校でもありますので、気持だけが焦ります。

ということで今年は具体的に明確に行動しようと
思っています。
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