2009年6月30日火曜日

ふっふっふ

中学校に入って以来(小学校時代から)学校で
給食を食べなかった生徒。
支援学級に在籍している、いつも明るく楽しい
性格の人気者です。

その生徒は支援対象ではないのですが、我々から
申し出て一緒に給食の時間を過ごしています。
その生徒は食べ物の話をするのもタブーで
「どんな食べ物が好き?」「今朝は何食べた?」
等の質問にも表情を固くしたまま硬直し
一切答えませんでした。

支援員と給食の時間を過ごすようになり、
牛乳を飲む事はできるようになりました。
次のステップとして食べ物を目標にしていますが
最近食べ物も一口だけですが食べさせることに
成功しました。

ポイントはふたつ。

その生徒の嫌がる部分に触れないようにすることと
叱らないこと。

その生徒は「給食を食べない生徒」である自分を
守りたいと思っているように感じます。
ですのでその部分を尊重し、我々も食べていない
という前提で接しています。
加えて「給食時間の事は秘密で誰にも言わないよ」と
毎回確認するように伝えています。

まず最初は「我々は怒らない」ということを繰り返し
伝えました。
食事中に言うことはタブーとされているような
言葉を次々と言っては我々を試していましたが
「ぜ~んぜん平気、怒らないよ~」と笑顔で返し
こちらも負けじとタブー言葉を使って、怒らない人である
という安心感を積み上げました。

そして最近は食べ物に対する拒絶的な態度が減った
ようにも感じますし、今日は私の前で指に付いたソースを
なめるという嬉しい場面に出会いました。

ふっふっふ・・・
ふわっふわっふわっ・・・

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2009年6月24日水曜日

支援対象生徒の転校

支援対象となっている生徒の一人が転校することに
なりそうです。
その話自体にも衝撃を受けましたが、我々のその後も
気になります。
現状でも支援員二人はちょっと支援が多すぎかなと
感じていたところへ、一番手のかかる生徒が
転校するという話が浮上してきました。
夏休み前には決定して転校となる可能性が濃厚です。

そうすると我々は一体どうなるのでしょうか。
その生徒がいない授業はほぼ支援の手も必要ないくらい
落ち着いていますし、明らかに人がダブついている感が
あります。

契約は3月末までなので、ここでチョキンと切られる
ということはないでしょうが、考えられるのは
要請がありながらも通らなかった学校への移動です。

今の現場に1人残るのも嫌だけれど、新しい学校に
これから移るのもストレスだし、だからと言って
人手の必要ない状況での勤務も辛いものがあります。

ちょっと八方塞がりです。

でも八方塞がりって実は天井は開いているんですよね。
横ばかり見ずに上を見て行きなさいってことでしょうか。

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2009年6月23日火曜日

疲弊する学校

疲れ切った私の目のせいか、中学校という現場は
非常に疲れて擦り減っているように映ります。

何年か前から明らかに生徒の質が変わった、と
先生方はおっしゃいます。
幼くなった、自主性がなくなった、自己中な子どもが
増えた、などなど。
過去の輝かしい実績があった頃と比べ行事なども
酷くなった、と嘆いています。

今の中学生は確かに問題を抱える生徒も増えて
いるのではないかと思います。
実際、実技系の授業では散らかる汚れるが
酷く、これじゃ先生も授業後大変なわけだと
問題の一端を垣間見た気がします。
生徒やその親の問題もあるのでしょうが、
微妙に先生方の問題もあるように感じます。

綺麗事と現実のギャップというか
世の中の空気感の変化に鈍感というか・・・
地域性なのか、この辺りは力で押さえつける
昔ながらの指導も容認という雰囲気ですし、
その弊害については無関心です。

色んな事に追い回されて、真面目な先生方は
一生懸命にやっていますが、なかなか結果は出ず
認めてくれる人もおらず、熱く教育を語る人も見当たらず
疲弊しているように感じます。
前任校でもいましたが、大丈夫かなと思う先生もいて
ちょっと心配です。

最近学校で先生方が怒りまくっています。
あちらこちらで生徒が怒鳴られて(叱られているようには
見えない)います。
事情を知らずに見かけるだけですが、心がざわつきます。

先生方のイライラがそうさせているようにも見えます。
原因があるんでしょうが、やめてくれ~と叫びたい
気持ちで一杯です。
ストレスはやっぱり弱者に向かう、と感じてしまいます。

せめて人目につくところではなく、2人だけで話せる場に
行って叱ってやってくれと思います。
人前で怒鳴りつけられる生徒の気持ちを考えると
心が痛みます。

個人的に怒鳴り声が非常に苦手です。

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2009年6月20日土曜日

支援員の役得

タメ口で偉そうな生徒がここ数日偉そうではありません。
まず周りの生徒にあれやこれやダメだしをしているのを
聞かなくなりました。
まだ先生のアドバイスを無視して自分のやり方を
押し通すこともありますが、先生の話を聞き
先生の指示に従ってできる授業もあり、そんな時は
非常にその生徒も充実した終わり方ができます。

さらに休み時間にクラスメイトに苦手な勉強を
教えてもらう、というその生徒にしてはかなり
下に降りた態度でクラスメイトと接することが
でき始めました。

教える側にしてみれば、「教える」側ということで
ちょっと嬉しく、比較的優しく接してくれます。
そうした暖かい横の関係がなかった生徒にとっては
心地よい新しい発見となったようで、言動が落ち着き
他の人にも教えてもらいに行っています。

最近辛辣なコミュニケーションばかりだった生徒に
心安らぐ交流ができている様子が表情から伺われ
ふふふと内心ご満悦の私です。

あと割り算を前に頑としてプリントに取り組まなかった
生徒も割り算一歩手前の穴埋め九九を克服し
最初に首を横に振った割り算プリントにも挑戦しました。
その生徒にとっては久々に長い時間集中して取組め、
笑顔で完成を皆に見せていました。
そんな姿を見た私も内心鼻高々です。

どちらも直接私が手を貸したわけではなく、間接的に
プリントを用意したり、近くから見守ったり
励ましの言葉をかけたりの関わりですが、その結果
生徒が心からの笑顔になる瞬間を目撃することができる、
ということは時間単位で移動する先生方には得られない役得です。

できた瞬間を一緒に味わうことができるというのは
本当に楽しいもので、濁りのない彼らの笑顔は眩しく
心が洗われます。

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支援員の憂鬱

支援員は学校の職員ではありません。
ですから学校の組織の中に入れてもらえることはありません。

前任校では朝の職員会議から参加する日もあったので
学校全体の動きも若干感じられましたが、現在の学校では
1時間目が始まる時間ジャストから勤務開始なので
学校全体の方向性など全く見えませんし、職員室で
過ごすこともほとんどありません(二人で一つの机を
いただいています)。

先生方との接点も少なく、普通クラスで支援対象の生徒が
学校に来ているかどうかもわかりませんので、毎日
その子の靴箱を確認するのが日課になっています。
靴がない場合は、担任の先生に欠席か遅刻か確認します。
先生方の状況や授業の振り替えなどもわからないことが多く
注意していないと生徒と一緒になって路頭に迷ってしまいます。

職員会議はもちろんのこと、特別支援関連の会議にも
数には入れてもらえません。
会議は日々支援員が関わっている生徒2名も議題となって
いて、その資料も作成されています。
でも他の一般生徒も取り上げられていることもあってか
我々は資料ももらえません。

その資料を見せてもらうと、現状と今後の目標などが個々に
書いてあり、我々にとっても大いに関わりのあることですが
そこに我々の入る余地はありません。

学校全体で困り切っている一番問題が多発する時間帯に
指示もなく、支援員だけをポンと現場に放り込みながら、
どうしていくのかという話し合いには参加させずで
単なる捨て駒のように感じられ、改めて虚しいモードに
入っている今日この頃です。

こうしてくれ、という方向性も指示もなければ、
我々から見てこうだから、こうした方がいいのでは?
などの提案も求められていない、言うなれば
往来のない孤立した立場のように感じます。

部外者なんですねぇ、支援員はやはり・・・
わかってはいるもののテンションが下がります。

じゃあ会議の後、方向性が決まって何らかの指示が
あるのかと思えば、(おそらくですが)そうでもなく
単に上層部に報告することが目的のような会議に
なるのではないかと思いますが、同じ問題に
向かっている者として仲間に入れてくれませんか?と
言ってみたい衝動にかられる非力な支援員なのでした。

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2009年6月18日木曜日

意見が食い違う時

先生にもタメ語で話す生徒への対応をずっと
考えていましたが、最近私なりに考えがまとまってきました。

先生と(大人と)タメ口ということと、友人関係が
結べない、ということに関係があるのではないか、
と思い当りました。

鶏と卵ではないですが、大人と対等なつもりでいるから
友人関係も同じように接してはじかれる、のか
友人関係がうまくいかないから大人との対等な関係に
走ってしまうのか、それとも全然関係ないのか・・・

どちらなのかわかりませんが、いずれにせよ
大人と付き合うにも友達と付き合うにもマイナスにしか
ならないのでタメ口はいちいち指摘するようにしています。
(全てタメ語なので全部に反応するのは結構大変)

次に気が付いたのが、友達への言葉かけ。
この生徒は偉そうな態度が常なので、自分がわかって
いる事は、クラスメイトにもまるで小さい子を
諭すような口調で「○○しようねぇ」とか
「○○しないといけないよ」などと言ったりします。
必要以上に上から目線で、反感を買うことも多いので
これをやめさせるようにしようと画策中でした。

①クラスメイトに対して、本人が困っている時でない限り
ああしろこうしろと指示しない。
②クラスメイトが間違ったことをしたり、だらけていても
注意するのは先生。

という方向で話をしようとしていたところ、先生が
真逆のことをおっしゃっていました。
仲間同士で良い答えを教えてあげる、というのは
とても良いことだと、間違ったことを注意してあげるのは
良いことだということです。

う~ん、そうかそこの考え方が違う~、と気付きました。
クラスの中でミスを指摘し合う姿はあまり美しくないし
変な力関係ができてきて、あまりいい雰囲気ではない
ように感じます。
私的には、そのタメ口の生徒には①②の考えは
伝えたいことでもあったし、横の対等な関係を築くのに
重要だと思っていただけに、ちょっと
戸惑っています。

人が10人いれば10通りの考え方があるんですねぇ。

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生徒に合わせること1

私の入っている特別支援学級の担当の先生は
とても力のある方です。
学校内でも地域の中でも名前の通った先生で、
過去の普通学級での取り組みも生徒達を上から
引っ張り上げ、持っている力を最大限に出させる
ことができ、生徒達からも一目置かれている人物です。

こういう先生が特別支援の担当になることは
大変意義のあることだと思います。
まず、校内でやりたいことの意見が通ること、そして
生徒の後ろ盾として交流学級担任の先生からも
配慮が受けやすいこと、そういったことから
生徒達自身の自信・安心につながること。
故に、非常にアクティで活動の幅が広く、
様々な経験が積め、生き生きと学校生活が送れています。

一方でひとつだけひっかかっていることがあります。
それは、普通の生徒と同じ環境で自立して食らいついて
いくことを目指していることです。

一般の中学生の中に入っても、わからないことは
自分から聞き、できなくても積極的に参加していくような
「生きる力」をつけさせたい、とおっしゃいます。
通常の中学校に在籍するからには、それが前提だと
いう考えです。

確かにそういう一面は実際に必要でもありますが、
特別支援学級の生徒達が一般の生徒達に合わせるのは
無理があると私は思います。
そもそもそれができないから支援学級に入ったわけです。

支援学級の生徒達は他の人よりも手持ちのカードが
少ない状態でゲームに参加しているようなものだと思います。
学力、体力、家の経済力、容姿、愛嬌、人間関係力、
空気読み力、などなど・・・
その中でも強力なカードである学力、体力、人間関係力、
空気読み力などが弱い支援学級の生徒は、同じ土俵では
不利ですし、それは本人たちが一番よ~くわかっています。

その「持たなさ加減」が、力のある先生には
わからないのかもしれないと感じます。
言いたい事はわからなくもないのですが、
カードを持たずに参戦することの無力感ややりきれなさが
「できる先生」には理解できないのかもしれないなぁと
思ったりします。

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2009年6月15日月曜日

問題が多い中にも光はある

今日も問題の多い一日でした。

あの件がまたああなってこうなって心配だし、
例の件はついにまたぶっとびな展開で一同
疲れて終わったし・・・

とそんな中で今日もひそかに嬉しいことがありました。
それは数学の割り算を前にして固まり、頑として
課題をやろうとしなかった生徒が、その割り算の壁を
乗り越えつつあります。

授業で用意されている一般の中学生用のプリントでは
もう理解できないところまで来ており、全然取り組まなく
なってきていました。
先生方とも相談し百ます計算や個別の掛け算課題を
やってきていましたが、同じことの繰り返しになっていたので、
そろそろ割り算にも挑戦させたいと思っていました。
小3程度の9÷3=○のような割り算プリントを用意していき、
本人にやってみるかどうか確認してみましたが
首は横に振られました。

そこでその旨先生に伝えると、小学生の計算ドリルから
5×○=15のような問題を探しだしてくれました。
それをやるかどうか本人に確認したところやってみると!
それができ大いに先生に褒められると次の15÷5=○
という割り算問題まで一気にできました!

その先生は生徒が指示に従わない時も怒ったりせず
柔軟に対応してくれる特別支援向きな先生です。
先生方は忙しいこともあり、普通は我々が現状を説明しても
なかなか即行動はしてくれないし、自分のやり方を貫き通す
ことが多いですが、この先生は我々の意見にも耳を傾けてくれ
実践してくれるので「一緒に生徒達を育んでいる」という
実感が持るし、生徒の実態に合わせた働きかけができて
実りが多いです。

実際にその生徒がどこまでできるのか引き継ぎもありませんので
目の前の生徒ができるかどうかを目で確認してやっていく
しかありませんが、とにかく一歩前に進みました。

私は裏から「こんなのがいいんじゃないでしょうか」
という話を持ちかけただけですが、それが功を奏して
生徒が「できた感」を味わえた時を目の当たりにし
心の中で小さくガッツポーズでした。

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2009年6月14日日曜日

嬉しいことと悲しい事はセットでやってくる

束の間の喜びで浮足立っていたところへ
地の底に落ちるような話しも続々と出てきました。

詳しくは書けませんが、先週末はガックリと
肩を落とした、というのがぴったりでした。

人それぞれ感じ方は様々でしょうが、私としては
支援員の存在自体を揺るがすごとだと思います。
支援員って何のためにいるんだろう・・・と
たそがれてしまいました。

私にとってはショックでも、本人にとっては
良いこともあるわけで、自分の気持だけに固執せずに
「結果として良ければ全てよし」と割り切ろうと
思いますが、それまでの間は少し複雑な心境です。

まだ決定ではないことではありますが、
あ~あ、とボヤッキーな週末でした。

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2009年6月4日木曜日

嬉しいことがありました

最近頭を痛めているトラブル生徒ですが、
とても嬉しくなることがありました。
学年通信にその生徒の頑張りが紹介されました!

と聞くと別に特別なことでもなかろうと
思われるかもしれませんが、その生徒の話をすれば
眉をひそめ、嫌悪感を抱かざるを得ない経験を
持つ先生も多く、いい面での話題など夢のまた夢。
それが今回、教科での取り組みが評価され
イニシャルながら、周りの人にも本人とわかる
はずです。

今日の夕方、その配布物を見た時に
「ムムムこれはあの生徒では・・・」とピンと
来ましたが、確認してみるとやはりその生徒だとのこと。

心の中で小さくガッツポーズでした。
私が何か支援した結果でもなければ、手を貸した事実も
なく、むしろ嫌われながら見守っているだけですが
やった!という気持ちです。

私の希望だった、他の先生方がもっとたくさん
関わってくれることと、問題行動を起こしている場面以外での
暖かい関わり、の2点が一気に実現しました。

現実問題としては何も解決していませんし、
今日も憎々しげに見つめられているし「不満ノート」
(最近事あるごとにノートに何か書きこんでいる)
に記入されたであろう私ですが、この学年通信には
心が躍りました。

本当に久しぶりに学校でウキウキしました。

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2009年6月3日水曜日

給食を食べない生徒

学校で給食を食べない生徒(中2)がいます。
ネットで検索してみると結構たくさんヒットします。
全国でも大勢の人たちが関わっているであろう給食問題。
一体どのような対応をしているのか気になります。

その子は既に小学校の頃から給食を学校では食べて
いないようで、本人も周りも当たり前のこととして
自然に任せています。
ですから教室でただ一人ぽつんと給食の時間親学級の
自分の席にただ座っていました。
その状態もどうかな、と思ったので支援員が入ってからは
支援員と別の部屋で一緒に給食の時間を過ごしています。

かなりの長期間慣れ親しんだ習慣でもあるので
そう簡単に食べるようになるとは思えませんが、
現在は牛乳だけは少し飲むようになりました。
と言っても我々の前飲むのはダメで、支援員が不在の
短時間に飲んでいます。

と考えると私は、人の前で飲み食いをすることのハードルが
かなり高そうだと感じました。ですので次なる手は
人が不在の間に何かを食べられるようにするのが
次のステップかなと思いましたが、これもなかなか進まず、
今は気のおけない友達と一緒に静かな部屋で食べることに
挑戦中です。

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