2009年9月12日土曜日

体育祭 凹みの巻

最近モチベーションが下がりまくりです。

体育祭シーズン真っ盛りで、私の勤務する学校も先日
体育祭が終わりました。
一番手のかかる生徒は一人でいることが大変苦手。
交流学級に行くのも一人だと行けないこともあります。
体育祭ともなれば尚のこと。
競技もあるし、演技もあります。

とにかく自信がないので誰か付いていないとダメだろうと
思われ、練習の時も一緒に付いていたので本番も同様に
必要なところに付くつもりでいたら、前日になって
担任は「体育の若い男性教諭についてもらおうか」と、
私もいるところでおっしゃいました。
担任は交流学級の足を引っ張るようなことをさせたくない
気持ちが強いようで、素早く動ける男性教諭にお願い
したいのだろうと思いましたが、私の気分は地の底です。

支援員の存在価値ゼロです。むしろマイ?
やっぱり支援員と言えど、若くないとなかなか使えない
ということなのかもしれません。
さらに、てんかん持ちの生徒が前日発作を起こしたため
当日も、またまたその若い男性教諭に付いてもらうと・・・

結果としては(担任が言っていた若い男性教諭ではない)
別の男性教諭が一部だけ付き、私は自主的に自分で
必要と思われることを目立たないようにすることにしました。

支援員は教員ではないので、役割分担もあるわけではないし、
担当の生徒に他の先生を付ける、となれば私のすることは
聞くまでもなくほとんどありません。
たぶん聞いても「先生は見てくださって結構ですから」と
言われるに違いありません(最初の頃「行事なども一人で
参加できるようにしたいので、支援員の先生方は木陰で
見ている程度でいいですから」ということを言われました)。

担任は体育祭の運営の方にかかりきりで、支援学級の生徒達は
最初から最後まで交流学級の中に入って、他の生徒達と
一緒に行動するようになっているので、右往左往していることも
結構あり、そちらで指示したり1人浮きがちなクラスの中で
声かけをして周りとのコミュニケーションを促したり、と
自分的に「支援をした」という納得感は得られる動きが
できたかなとは思いますが、心には重石が乗ったようでした。

悲しかったです。

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2009年9月6日日曜日

新型インフルエンザ

私たちの地域では、新型インフルエンザでの医療機関受診人数が
1週間当たり2人前後で、東京や大阪などの3人前後には至って
いませんし、現時点では近隣での学級閉鎖や学校閉鎖も聞こえてきません。

ただ友人の中学校では今週からマスク持参となるようですし
私の勤務する学校でも近々修学旅行があるため、患者が出たら大変
で、私もビクビクしながら生活しているような面があります。

私自身はあまり人混みにも出ないし、人脈も広くないので
伝染るとしても流行の最後の方かな、と楽観的に考えていますが
勤務先での感染源にはなりたくない一心で体調管理に励んでいます。

ネットでふと見かけた気になる言葉があり、調べてみると
やはりその通りで、また少し緊張感が高まりました。

国立感染症研修所感染症情報センターにCDCの文書
掲載されています。

「小児における新型インフルエンザ A (H1N1)ウイルス感染に対する
予防と治療の暫定的手引き」

(以下一部抜粋)
呼吸機能に影響を与えるさまざまな疾患、例えば知的障害や発達障害、
脳性麻痺、脊髄神経障害、痙攣性疾患、代謝性疾患、
その他の神経筋疾患などの子どもは、高危険群としてよい。

とのことで、支援学級の子どもたちはハイリスク群の子どもが多いと
いうことになります。知的障害や発達障害の子どもは呼吸機能に
影響を与えるというのは知りませんでした。

都市部から地方に流行が拡大していくのは避けられないのではないかと
思う部分もあり、どの時点で感染するかの違いだけじゃないかという
疑念も抱いてしまいます。今頑張って流行を先延ばしにして
一番空気の乾燥する3年生の受験シーズンに広がったりしたら
大変なことになりそうだと先々の心配もしてしまいます。

ぐるぐると止めどなく考えた結果、先のことを心配しても仕方ない
ので神経質にならずに、しかし目の前の子どもたちはハイリスク群である
という自覚を持ちつつ、勉強に諸活動に取り組むことが大事かなと
いう辺りに落ち着きました。

でもあの一般生徒の教室の人口密度を考えると学校での大流行は
やむなしと思わざるを得ません。

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2009年8月25日火曜日

WISC3講習会参加決定

勤務先の中学校から電話があり、数日前に私宛の封書が
届いているとのことでした。
そうでした、そうでした、知能検査は個人ではできない為、
全て職場経由でやり取りをする事になっているんでした。
結果の連絡が来ない来ないと思っていました。
で、結果は定員より申し込み人数が多かったので
抽選だったそうですが、参加できる運びとなりました。
中学校からその連絡をくれた先生が「今度検査する時一緒に」と
言ってくれたことも嬉しく、一生懸命やれば手を差し伸べて
くれる人がいるって本当だなぁと思いました。
それは、子どもの担任の先生が学年通信に書いていた言葉ですが
私にとってとても印象深いものでした。

本気でやれば何でもできる
本気でやれば何でも面白い
本気でやれば誰かが助けてくれる


確かになぁと思って感心していましたが、とにかく行動ありきですね。
この際出ていくお金については考えないことにします。

検査といえば、先日のセミナーでのWISC3の講義を受けていて
私は聴覚刺激が苦手なんじゃないかと気付きました。
年齢的な面からも短期記憶がアレな上に妨害刺激にも
めっきり弱いことを自覚しました。
認知症の検査にも一旦覚えた物を隠して、しばらく後に
思いだして答えるという問題がありましたが、
あんなタイプのものが非常に苦手です。

それを裏付けたのが、先生の話でした。
未だに理由がよくわからない部分もありますが、
その先生の話がほとんど理解できませんでした。
何を言っているのかよくわからないのです。
今まではそんなことは感じた事はなかったので
原因は何だろうと講義の時間中ずっとそればかり
探っていました。
そして至った結論は、言い切らないこと、
文章の途中に条件を後から挟み込んだり、
自分の中にあるものをそのまま全て思いついた順に
話したり、という辺りが原因かと。
その先生はきっと同時処理タイプなんだろうと
思います。
他の人は理解できたんだろうかと疑問です。
他の講義は全然そんなことを思わなかったので
おそらく、私自身にも非常に弱い部分があるんだと
思います。

というよりも、根本的な原因は全体的にもっと
脳の活性化が必要ということです。
間違いないです。

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2009年8月12日水曜日

免許ショック

放送大学でコツコツと単位を取って取ろうとしていた
特別支援教育の教員免許が、近くの大学で夏休み中に
取れてしまうことが発覚。
どうして私ってこうタイミングを外すんでしょう。

と、携帯メールから投稿してみましたが、ちゃんと
アップされていました。
凄いですね、今どき何でもできちゃいますね。

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2009年8月11日火曜日

WISC-Ⅲ講習会

今回のS.E.N.S養成セミナーは各種検査についてでした。

私は全く経験がないので、実際に検査となっても
到底できそうもなく、先生に伺ったところ講習会が
あるとのこと。(セミナーで一日勉強した位では実施
できるようにはならないと最初におっしゃいました)
もうやっていないかもしれない、とのことでしたが
帰ってから調べてみると、WISC-Ⅲは今まさに申込期間。

WISC-ⅢもK-ABCもそれぞれ講習会がありましたが、
お値段も結構するので、まずは大御所のWISC-Ⅲをと
考えましたが、昨日に引き続きここでハタと気付きました。
学校ではあるものの権限のない立場の仕事に就いていて
そんな検査の勉強をしてどうなるんだ?と自問自答。

二日間考えて、結果的に使えない技術だとしても
今やらないとこれから学ぶチャンスはないだろうと思い、
意を決して申し込みました。
人生前向きに、損得だけを考えずに自分が成長する
機会を増やしたいものです(希望的に)。

とは言っても、先生方は経済的に裕福ですがパートの
支援員は万単位のお金は大金です。
受けられることになったら、元を取るべくなりふり構わず
泥臭く勉強してきたいと思います。

定員をオーバーした場合には抽選とのことですので
もしかすると私のような緊急性のない立場の人は
落選かもしれませんが・・・

来年にはWISC-Ⅳが出ることが決まっているのは
ちょっと残念ですが、それまで待っている余裕は
私にはありません。

頑張ります。

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2009年8月10日月曜日

第2回S.E.N.S.養成セミナー

5月の連休にも開催された特別支援教育士養成セミナー
略してS.E.N.S.養成セミナーが8月7日~9日まで
シロガネーゼの街白金にある明治学院大学で行われました。

確か去年この資格を取ろうと思い立ちLD学会に入会し
(S.E.N.S.の資格を取るには学会入会が必須)
セミナーに申込ました。
講義内容は大変面白く、今回も待望だったWISCⅢや
K-ABCについての講習があり、短期記憶の衰えた頭で
四苦八苦しながら勉強してきました。。

しかし昨日検索してみたら、この日本ブログ村の
特別支援教育のジャンル内の大変有名な先生方も
取得されていることがわかり、ちょっと私には
分不相応なのかもしれないと思い始めました。

というのも、昨日の講義の中で参加者の仕事を聞かれた
のですが、その選択肢が「学校・施設の先生」
「専門機関の相談員・コーディネーター」「その両方」
というものでした。7割が学校の先生ということでしたが
私は本来「その他」に入るべき立場です。
講師の先生も参加者のことを「先生方」と呼びますし
私は果たしてここにいていいのだろうか、、、と
腰が引け気味でした。

その道を目指してはいますが、現状では教員になることすら
難しく、若くはない年齢も相まって少々凹み気味です。
いくら勉強したところでそれを生かせる職には就けなければ
宝の持ち腐れになってしまいます。

って今頃気づくな、と我ながら思いましたが、
思いついたら周りのことが見えなくなるのはメタ認知が
弱いからかもしれません。
私は発達障害の子どものに似ているなぁと思う今日この頃です。

判断基準の「著しい困難」こそないものの、得意不得意の
バランスが悪いといろんな面で困ってしまいます。

でも人生無駄な事はひとつもない!・・・はず。

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2009年8月2日日曜日

特別支援教育研修会

過日、市内の支援員対象の研修会がありました。

前回の春の研修会で「支援員同士の情報交換も必要」
という意見に「またそのような機会を持ちます」との返答
だったので、私たちは大変期待して参加しましたが、
実際は支援に関するレクチャーと規則の変更などの
説明で終了しました。

そのレクチャー自体は面白く、ためになりましたが、
一番問題の支援員それぞれが持っている悩みや困難など
共有する時間は用意されていませんでした。
時間が長引くと支援員の給料が増えてしまうから
必要最小限の内容だけにしたのでしょうか。

そのレクチャーの中で、講師の方が最初に参加者に
支援員の現状についてアンケートを取りました。
その結果は色々ありますが、学校で担当の先生との
コミュニケーションを取る時間がないこと、担当の生徒に
対する指導や指針はほとんどない状態で日々子どもたちに
接している支援員が大半であること、などが印象的でした。

前回の研修会後に話をした他の学校の支援員さんと
「果たしてやる気があるのか・・・」と疑問を持って
しまいました。

現場だけが右往左往しているって感じです。

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2009年7月25日土曜日

私は親の立場に近いかも

自分のしていることや考えていることを
客観的に見てみると、私はきっとその子どもを
持った親の立場なんじゃないかなぁと思います。

1人1人の子どもの親になったつもりで見ていると
「私が親の立場だったらこれは怒るだろうな」とか
「もっとその子の将来を考えてあげてほしい」等々
かなりピンポイントに絞り込んだ思い入れが
あるんじゃないかと最近気が付きました。

裏返すと私には「教師」というような皆をまとめたり
上から子どもたちを引っ張り上げたりリードしたり、
全体を動かしたりすることはできない、ということです。
視野が狭いというか、枝葉に目が行くというか・・・

今も、ある生徒には将来を考えたらもう少し別の
対応がいいんじゃないか、どうして先生は先のことを考えて
やらないのかと思ったりしますが、それも良く考えると
親的な考えなのかもしれない、と思っています。

それがいいのか悪いのかよくわかりません。

先生方はなんだかんだ言っても優秀ですし、
経済的にも裕福で、子どもも優秀な成績の
場合が多いから、そういう子どもを持った親の気持ちは
わからない人も多いと思いますし、親や本人の
困り感は伝わりにくいと思います。
先生が親の気持ちをわかる必要もないとは思いますが、
学校というのは卒業すれば終わりです。
親はその子の親であることは一生です。

中学校というのは個を尊重する場というよりも
公を優先する場であるように感じます。
社会性を身に付ける第一歩の場として、ルールや
規律は大変重要だとも思いますが、その中で
皆と同じ土俵でできない子どもはどうしても
はじかれてしまいます。
特別支援学校では十分行われているのでは
ないかと思いますが、一般学校では理論に現場が
ついて言っていないのではないかというのが実感です。

特殊教育から特別支援教育へという勉強を今
していますが、一般の中学校ではまだまだ遠い
道のりなんじゃないかと思います。

特別支援学級であっても普通クラスであっても
義務教育である中学校で問題になり、学力も危うく
家庭環境も不安定な子どもを見ていると
将来のことが大変心配です。
別室登校や問題行動があっても、人生のどこかの地点で
巻き返しができそうな子と「そうでない子」がおり、
「そうでない子」が結構いるように感じます。

その子たちが社会に出て行く数年後に
危機感を抱いています。

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感じていること

【生徒に対する支援か先生に対する支援か】
これはどちらも必要でありながら、やっているうちに
疑問を持つこともしばしばです。
というのは、生徒に対する支援だけを考えていると
先生の意向とズレが生じてくることがあるからです。
逆に先生のやりたいことを重視して支援していると、
生徒によってはかなり無理があっても、指導優先で
結果だけを求めることになりがちです。

子どもの問題を考える時、本人への支援ももちろん
その親への支援が結果として大きな力となるように
学校でも然りだと感じます。

ということを考えたのは、以下のような思いがあるからです。
特別支援の勉強を始め、中学校で働き始め、感じたことは
特別支援に関わりのない一般先生方が、今までの考え方や
やり方を見直す必要があるんじゃないかということです。

特別支援関係の勉強をしたり、講座を聞きに行ったりしても
どう考えても、直接特別支援に関わっている人達ではなく
その他の人達に理解してもらいたい、と思える内容だからです。

特別支援担当であっても、理解の乏しい先生もいます。
その意を汲んで動く支援員という立場は、非常にもどかしい
思いをすることが多々あります。

【支援員は通年必要か】
手厚い支援が必要な時期も確かにありますが、
一旦落ち着いて流れだしたら、徐々に手を引いて行くのが
支援の理想だと思います。
ただ契約上は1年間という区切りがあり、手を引いて行く
ことが結構難しい状況にあります。

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2009年7月5日日曜日

不登校の生徒の所属先

学校に来られなくなった生徒は特別支援学級適応
なのでしょうか。
一時的に避難する場としてはいいかもしれませんが
在籍して卒業までそこにいることは果たして本人の
ためになるのか疑問な生徒がいます。

知的障害もなく発達障害などの診断も受けていません。
支援学級(知的)に移った経緯は色々あって学校に
来られなくなったということですが、現在の生活ぶりや
態度から見ても知的障害も情緒障害もありませんが、
非常に依存的です。

発達障害が小児神経であるなら、その生徒は小児精神の
方面でのフォローが必要そうに見えます。

最近は毎日学校にも来られるようになっていますし、
学習面では支援学級に在籍してある程度の期間が経過して
いるのでその間の遅れはありますが、基本的には
特別な支援は必要ありません。

生活面にやや不安がありますが、当初から見ると
ほぼ回復したと言って良い状況です。

私はこの段階では、ベースは支援学級だとしても
得意な教科などからなるべく元のクラスに
戻す方向で少しづつ動いた方がいいのではないかと
感じています。

その生徒は中学校を卒業したら特別支援学校への道は
ないので、いつも注目を浴び、かまってえもらえる
支援学級の世界から放り出されます。

そこで生きていけるのだろうか・・・答えは否です。
卒業したら、運よくどこかの高校に入っても
あっという間に不登校という道筋が目に見えるようです。

現在の「トップクラスな私」「人の世話をしてあげる私」
でも「何もできない私」が全て通る支援学級で、何の努力も
苦労も経験せずに送り出していいのだろうか、と
疑問を感じずにはいられません。

その生徒は努力しなければならないことは
自分からはやりませんし、掃除などの作業も先生が
見ていなければさぼります。
持ってこいと言われたものも持ってきません。
でも授業中は「別格の生徒」としてリードするような
立場で、頼まれることも度々です。

態度などを叱られても、聞いてはいますが反省も感じられず
他人事のようで右から左へ抜けています。
なぜなら授業中にその評価を晩回できるからです。

最近のその生徒の様子を観察していると、
支援学級にいることがマイナスなのではないかと
感じ始めました。

自分の人生を何だと思っているんだ!

とその生徒に言ってやりたい気持ちに満ち満ちている私ですが
どこからどのように切り込むか思案中です。

※誤解を生む表現があったので一部書き換えました。

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2009年6月30日火曜日

ふっふっふ

中学校に入って以来(小学校時代から)学校で
給食を食べなかった生徒。
支援学級に在籍している、いつも明るく楽しい
性格の人気者です。

その生徒は支援対象ではないのですが、我々から
申し出て一緒に給食の時間を過ごしています。
その生徒は食べ物の話をするのもタブーで
「どんな食べ物が好き?」「今朝は何食べた?」
等の質問にも表情を固くしたまま硬直し
一切答えませんでした。

支援員と給食の時間を過ごすようになり、
牛乳を飲む事はできるようになりました。
次のステップとして食べ物を目標にしていますが
最近食べ物も一口だけですが食べさせることに
成功しました。

ポイントはふたつ。

その生徒の嫌がる部分に触れないようにすることと
叱らないこと。

その生徒は「給食を食べない生徒」である自分を
守りたいと思っているように感じます。
ですのでその部分を尊重し、我々も食べていない
という前提で接しています。
加えて「給食時間の事は秘密で誰にも言わないよ」と
毎回確認するように伝えています。

まず最初は「我々は怒らない」ということを繰り返し
伝えました。
食事中に言うことはタブーとされているような
言葉を次々と言っては我々を試していましたが
「ぜ~んぜん平気、怒らないよ~」と笑顔で返し
こちらも負けじとタブー言葉を使って、怒らない人である
という安心感を積み上げました。

そして最近は食べ物に対する拒絶的な態度が減った
ようにも感じますし、今日は私の前で指に付いたソースを
なめるという嬉しい場面に出会いました。

ふっふっふ・・・
ふわっふわっふわっ・・・

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2009年6月24日水曜日

支援対象生徒の転校

支援対象となっている生徒の一人が転校することに
なりそうです。
その話自体にも衝撃を受けましたが、我々のその後も
気になります。
現状でも支援員二人はちょっと支援が多すぎかなと
感じていたところへ、一番手のかかる生徒が
転校するという話が浮上してきました。
夏休み前には決定して転校となる可能性が濃厚です。

そうすると我々は一体どうなるのでしょうか。
その生徒がいない授業はほぼ支援の手も必要ないくらい
落ち着いていますし、明らかに人がダブついている感が
あります。

契約は3月末までなので、ここでチョキンと切られる
ということはないでしょうが、考えられるのは
要請がありながらも通らなかった学校への移動です。

今の現場に1人残るのも嫌だけれど、新しい学校に
これから移るのもストレスだし、だからと言って
人手の必要ない状況での勤務も辛いものがあります。

ちょっと八方塞がりです。

でも八方塞がりって実は天井は開いているんですよね。
横ばかり見ずに上を見て行きなさいってことでしょうか。

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2009年6月23日火曜日

疲弊する学校

疲れ切った私の目のせいか、中学校という現場は
非常に疲れて擦り減っているように映ります。

何年か前から明らかに生徒の質が変わった、と
先生方はおっしゃいます。
幼くなった、自主性がなくなった、自己中な子どもが
増えた、などなど。
過去の輝かしい実績があった頃と比べ行事なども
酷くなった、と嘆いています。

今の中学生は確かに問題を抱える生徒も増えて
いるのではないかと思います。
実際、実技系の授業では散らかる汚れるが
酷く、これじゃ先生も授業後大変なわけだと
問題の一端を垣間見た気がします。
生徒やその親の問題もあるのでしょうが、
微妙に先生方の問題もあるように感じます。

綺麗事と現実のギャップというか
世の中の空気感の変化に鈍感というか・・・
地域性なのか、この辺りは力で押さえつける
昔ながらの指導も容認という雰囲気ですし、
その弊害については無関心です。

色んな事に追い回されて、真面目な先生方は
一生懸命にやっていますが、なかなか結果は出ず
認めてくれる人もおらず、熱く教育を語る人も見当たらず
疲弊しているように感じます。
前任校でもいましたが、大丈夫かなと思う先生もいて
ちょっと心配です。

最近学校で先生方が怒りまくっています。
あちらこちらで生徒が怒鳴られて(叱られているようには
見えない)います。
事情を知らずに見かけるだけですが、心がざわつきます。

先生方のイライラがそうさせているようにも見えます。
原因があるんでしょうが、やめてくれ~と叫びたい
気持ちで一杯です。
ストレスはやっぱり弱者に向かう、と感じてしまいます。

せめて人目につくところではなく、2人だけで話せる場に
行って叱ってやってくれと思います。
人前で怒鳴りつけられる生徒の気持ちを考えると
心が痛みます。

個人的に怒鳴り声が非常に苦手です。

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2009年6月20日土曜日

支援員の役得

タメ口で偉そうな生徒がここ数日偉そうではありません。
まず周りの生徒にあれやこれやダメだしをしているのを
聞かなくなりました。
まだ先生のアドバイスを無視して自分のやり方を
押し通すこともありますが、先生の話を聞き
先生の指示に従ってできる授業もあり、そんな時は
非常にその生徒も充実した終わり方ができます。

さらに休み時間にクラスメイトに苦手な勉強を
教えてもらう、というその生徒にしてはかなり
下に降りた態度でクラスメイトと接することが
でき始めました。

教える側にしてみれば、「教える」側ということで
ちょっと嬉しく、比較的優しく接してくれます。
そうした暖かい横の関係がなかった生徒にとっては
心地よい新しい発見となったようで、言動が落ち着き
他の人にも教えてもらいに行っています。

最近辛辣なコミュニケーションばかりだった生徒に
心安らぐ交流ができている様子が表情から伺われ
ふふふと内心ご満悦の私です。

あと割り算を前に頑としてプリントに取り組まなかった
生徒も割り算一歩手前の穴埋め九九を克服し
最初に首を横に振った割り算プリントにも挑戦しました。
その生徒にとっては久々に長い時間集中して取組め、
笑顔で完成を皆に見せていました。
そんな姿を見た私も内心鼻高々です。

どちらも直接私が手を貸したわけではなく、間接的に
プリントを用意したり、近くから見守ったり
励ましの言葉をかけたりの関わりですが、その結果
生徒が心からの笑顔になる瞬間を目撃することができる、
ということは時間単位で移動する先生方には得られない役得です。

できた瞬間を一緒に味わうことができるというのは
本当に楽しいもので、濁りのない彼らの笑顔は眩しく
心が洗われます。

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支援員の憂鬱

支援員は学校の職員ではありません。
ですから学校の組織の中に入れてもらえることはありません。

前任校では朝の職員会議から参加する日もあったので
学校全体の動きも若干感じられましたが、現在の学校では
1時間目が始まる時間ジャストから勤務開始なので
学校全体の方向性など全く見えませんし、職員室で
過ごすこともほとんどありません(二人で一つの机を
いただいています)。

先生方との接点も少なく、普通クラスで支援対象の生徒が
学校に来ているかどうかもわかりませんので、毎日
その子の靴箱を確認するのが日課になっています。
靴がない場合は、担任の先生に欠席か遅刻か確認します。
先生方の状況や授業の振り替えなどもわからないことが多く
注意していないと生徒と一緒になって路頭に迷ってしまいます。

職員会議はもちろんのこと、特別支援関連の会議にも
数には入れてもらえません。
会議は日々支援員が関わっている生徒2名も議題となって
いて、その資料も作成されています。
でも他の一般生徒も取り上げられていることもあってか
我々は資料ももらえません。

その資料を見せてもらうと、現状と今後の目標などが個々に
書いてあり、我々にとっても大いに関わりのあることですが
そこに我々の入る余地はありません。

学校全体で困り切っている一番問題が多発する時間帯に
指示もなく、支援員だけをポンと現場に放り込みながら、
どうしていくのかという話し合いには参加させずで
単なる捨て駒のように感じられ、改めて虚しいモードに
入っている今日この頃です。

こうしてくれ、という方向性も指示もなければ、
我々から見てこうだから、こうした方がいいのでは?
などの提案も求められていない、言うなれば
往来のない孤立した立場のように感じます。

部外者なんですねぇ、支援員はやはり・・・
わかってはいるもののテンションが下がります。

じゃあ会議の後、方向性が決まって何らかの指示が
あるのかと思えば、(おそらくですが)そうでもなく
単に上層部に報告することが目的のような会議に
なるのではないかと思いますが、同じ問題に
向かっている者として仲間に入れてくれませんか?と
言ってみたい衝動にかられる非力な支援員なのでした。

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2009年6月18日木曜日

意見が食い違う時

先生にもタメ語で話す生徒への対応をずっと
考えていましたが、最近私なりに考えがまとまってきました。

先生と(大人と)タメ口ということと、友人関係が
結べない、ということに関係があるのではないか、
と思い当りました。

鶏と卵ではないですが、大人と対等なつもりでいるから
友人関係も同じように接してはじかれる、のか
友人関係がうまくいかないから大人との対等な関係に
走ってしまうのか、それとも全然関係ないのか・・・

どちらなのかわかりませんが、いずれにせよ
大人と付き合うにも友達と付き合うにもマイナスにしか
ならないのでタメ口はいちいち指摘するようにしています。
(全てタメ語なので全部に反応するのは結構大変)

次に気が付いたのが、友達への言葉かけ。
この生徒は偉そうな態度が常なので、自分がわかって
いる事は、クラスメイトにもまるで小さい子を
諭すような口調で「○○しようねぇ」とか
「○○しないといけないよ」などと言ったりします。
必要以上に上から目線で、反感を買うことも多いので
これをやめさせるようにしようと画策中でした。

①クラスメイトに対して、本人が困っている時でない限り
ああしろこうしろと指示しない。
②クラスメイトが間違ったことをしたり、だらけていても
注意するのは先生。

という方向で話をしようとしていたところ、先生が
真逆のことをおっしゃっていました。
仲間同士で良い答えを教えてあげる、というのは
とても良いことだと、間違ったことを注意してあげるのは
良いことだということです。

う~ん、そうかそこの考え方が違う~、と気付きました。
クラスの中でミスを指摘し合う姿はあまり美しくないし
変な力関係ができてきて、あまりいい雰囲気ではない
ように感じます。
私的には、そのタメ口の生徒には①②の考えは
伝えたいことでもあったし、横の対等な関係を築くのに
重要だと思っていただけに、ちょっと
戸惑っています。

人が10人いれば10通りの考え方があるんですねぇ。

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生徒に合わせること1

私の入っている特別支援学級の担当の先生は
とても力のある方です。
学校内でも地域の中でも名前の通った先生で、
過去の普通学級での取り組みも生徒達を上から
引っ張り上げ、持っている力を最大限に出させる
ことができ、生徒達からも一目置かれている人物です。

こういう先生が特別支援の担当になることは
大変意義のあることだと思います。
まず、校内でやりたいことの意見が通ること、そして
生徒の後ろ盾として交流学級担任の先生からも
配慮が受けやすいこと、そういったことから
生徒達自身の自信・安心につながること。
故に、非常にアクティで活動の幅が広く、
様々な経験が積め、生き生きと学校生活が送れています。

一方でひとつだけひっかかっていることがあります。
それは、普通の生徒と同じ環境で自立して食らいついて
いくことを目指していることです。

一般の中学生の中に入っても、わからないことは
自分から聞き、できなくても積極的に参加していくような
「生きる力」をつけさせたい、とおっしゃいます。
通常の中学校に在籍するからには、それが前提だと
いう考えです。

確かにそういう一面は実際に必要でもありますが、
特別支援学級の生徒達が一般の生徒達に合わせるのは
無理があると私は思います。
そもそもそれができないから支援学級に入ったわけです。

支援学級の生徒達は他の人よりも手持ちのカードが
少ない状態でゲームに参加しているようなものだと思います。
学力、体力、家の経済力、容姿、愛嬌、人間関係力、
空気読み力、などなど・・・
その中でも強力なカードである学力、体力、人間関係力、
空気読み力などが弱い支援学級の生徒は、同じ土俵では
不利ですし、それは本人たちが一番よ~くわかっています。

その「持たなさ加減」が、力のある先生には
わからないのかもしれないと感じます。
言いたい事はわからなくもないのですが、
カードを持たずに参戦することの無力感ややりきれなさが
「できる先生」には理解できないのかもしれないなぁと
思ったりします。

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2009年6月15日月曜日

問題が多い中にも光はある

今日も問題の多い一日でした。

あの件がまたああなってこうなって心配だし、
例の件はついにまたぶっとびな展開で一同
疲れて終わったし・・・

とそんな中で今日もひそかに嬉しいことがありました。
それは数学の割り算を前にして固まり、頑として
課題をやろうとしなかった生徒が、その割り算の壁を
乗り越えつつあります。

授業で用意されている一般の中学生用のプリントでは
もう理解できないところまで来ており、全然取り組まなく
なってきていました。
先生方とも相談し百ます計算や個別の掛け算課題を
やってきていましたが、同じことの繰り返しになっていたので、
そろそろ割り算にも挑戦させたいと思っていました。
小3程度の9÷3=○のような割り算プリントを用意していき、
本人にやってみるかどうか確認してみましたが
首は横に振られました。

そこでその旨先生に伝えると、小学生の計算ドリルから
5×○=15のような問題を探しだしてくれました。
それをやるかどうか本人に確認したところやってみると!
それができ大いに先生に褒められると次の15÷5=○
という割り算問題まで一気にできました!

その先生は生徒が指示に従わない時も怒ったりせず
柔軟に対応してくれる特別支援向きな先生です。
先生方は忙しいこともあり、普通は我々が現状を説明しても
なかなか即行動はしてくれないし、自分のやり方を貫き通す
ことが多いですが、この先生は我々の意見にも耳を傾けてくれ
実践してくれるので「一緒に生徒達を育んでいる」という
実感が持るし、生徒の実態に合わせた働きかけができて
実りが多いです。

実際にその生徒がどこまでできるのか引き継ぎもありませんので
目の前の生徒ができるかどうかを目で確認してやっていく
しかありませんが、とにかく一歩前に進みました。

私は裏から「こんなのがいいんじゃないでしょうか」
という話を持ちかけただけですが、それが功を奏して
生徒が「できた感」を味わえた時を目の当たりにし
心の中で小さくガッツポーズでした。

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2009年6月14日日曜日

嬉しいことと悲しい事はセットでやってくる

束の間の喜びで浮足立っていたところへ
地の底に落ちるような話しも続々と出てきました。

詳しくは書けませんが、先週末はガックリと
肩を落とした、というのがぴったりでした。

人それぞれ感じ方は様々でしょうが、私としては
支援員の存在自体を揺るがすごとだと思います。
支援員って何のためにいるんだろう・・・と
たそがれてしまいました。

私にとってはショックでも、本人にとっては
良いこともあるわけで、自分の気持だけに固執せずに
「結果として良ければ全てよし」と割り切ろうと
思いますが、それまでの間は少し複雑な心境です。

まだ決定ではないことではありますが、
あ~あ、とボヤッキーな週末でした。

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2009年6月4日木曜日

嬉しいことがありました

最近頭を痛めているトラブル生徒ですが、
とても嬉しくなることがありました。
学年通信にその生徒の頑張りが紹介されました!

と聞くと別に特別なことでもなかろうと
思われるかもしれませんが、その生徒の話をすれば
眉をひそめ、嫌悪感を抱かざるを得ない経験を
持つ先生も多く、いい面での話題など夢のまた夢。
それが今回、教科での取り組みが評価され
イニシャルながら、周りの人にも本人とわかる
はずです。

今日の夕方、その配布物を見た時に
「ムムムこれはあの生徒では・・・」とピンと
来ましたが、確認してみるとやはりその生徒だとのこと。

心の中で小さくガッツポーズでした。
私が何か支援した結果でもなければ、手を貸した事実も
なく、むしろ嫌われながら見守っているだけですが
やった!という気持ちです。

私の希望だった、他の先生方がもっとたくさん
関わってくれることと、問題行動を起こしている場面以外での
暖かい関わり、の2点が一気に実現しました。

現実問題としては何も解決していませんし、
今日も憎々しげに見つめられているし「不満ノート」
(最近事あるごとにノートに何か書きこんでいる)
に記入されたであろう私ですが、この学年通信には
心が躍りました。

本当に久しぶりに学校でウキウキしました。

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2009年6月3日水曜日

給食を食べない生徒

学校で給食を食べない生徒(中2)がいます。
ネットで検索してみると結構たくさんヒットします。
全国でも大勢の人たちが関わっているであろう給食問題。
一体どのような対応をしているのか気になります。

その子は既に小学校の頃から給食を学校では食べて
いないようで、本人も周りも当たり前のこととして
自然に任せています。
ですから教室でただ一人ぽつんと給食の時間親学級の
自分の席にただ座っていました。
その状態もどうかな、と思ったので支援員が入ってからは
支援員と別の部屋で一緒に給食の時間を過ごしています。

かなりの長期間慣れ親しんだ習慣でもあるので
そう簡単に食べるようになるとは思えませんが、
現在は牛乳だけは少し飲むようになりました。
と言っても我々の前飲むのはダメで、支援員が不在の
短時間に飲んでいます。

と考えると私は、人の前で飲み食いをすることのハードルが
かなり高そうだと感じました。ですので次なる手は
人が不在の間に何かを食べられるようにするのが
次のステップかなと思いましたが、これもなかなか進まず、
今は気のおけない友達と一緒に静かな部屋で食べることに
挑戦中です。

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2009年5月30日土曜日

毎日気が休まらないのはなぜ?

ブログ村の特別支援教育カテゴリーを毎日いろいろ
読ませていただいていますが、皆さん本当に
一生懸命子どもたちの成長を願って工夫し、生き生きと
試行錯誤されている様子が伝わってきます。

一方私は試行錯誤はしていますが、連日気が張っていて
伸び伸びと動けたという実感がありません。
特別支援という御題目は同じなのに、何かが違う・・・
向かっている先が違いすぎる・・・

これは支援員という立場的なものなのか、私の
気持ちの問題なのか、問題生徒への対応の困難さなのか、
担任との兼ね合いの問題なのか、よくわかりません。
はたまた経験不足の新人症候群なのか・・・

一年という期間限定の中で、それなりに結果を出さなければ
という気持ちもあり、目に見える成果を求めてしまうことと、
担任の先生がどう感じているかが気になってしまうことも
自分を縛りつけている要因だろうと思います。

1人の生徒はここのところ、先生の指示の通りも悪く
授業への取り組みもいい加減で、態度も良くないことが
ちらほら見られますが、爪を噛んでいるのも見かけます。
この生徒へは、あまり無理をさせずぎない方がいいんじゃ
ないか、というのが支援員の一致した意見です。
ちょっと疲れが出る時期でもあるのかもしれません。
我々にしても新しい環境に慣れてきてここら辺で
一息つくように、ということなのでしょうか。

他方では、大変やっかいな問題も浮上してきて
気が重く、一体どうなるんだろう?と戦々恐々としている
状態でもあります。
竜巻に巻き込まれていくようなイメージです。
どうしていつもこんな難しい問題の渦中にいるのか
わかりません。

さっと入ってきてササッと解決の手口を掴んで行動を起こし、
涙のうちに解決してさっと帰って行くなんて「ナニー」でも
なければできそうにありません。

あぁあ、私が問題解決のスペシャリストだったらなぁ。

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2009年5月29日金曜日

伝えたいこと

1年前の心臓検診でどうふるまっていいのか
わからなくて大失態を演じてしまった生徒がいます。
今年は心臓検診はないものの今日は内科検診でした。

その生徒は検診に非常に不安を持っていて
朝からハイテンションでした。
一緒について行くことを話し、緊張する気持ちを
言葉にして落ち着かせました。
そして付きっきりで検診を無事に終え、静かに
教室に帰ってきたら、ちゃんと皆と同じに検診を
受けられたことを大喜び。

そして私に何度もお礼を言いに来ます。
「先生のおかげでちゃんとできました」
「先生ありがとうございます」

お礼を言ってくれる気持が凄くて申し訳ないほどです。
手を貸してくれた人に感謝する気持ちを表現することも
大切だと思いますが、心配になのは成し遂げることが
できた自分を蔑ろにしていることです。
「ちゃんとできたのは私のおかげじゃなくて
あなたにそれだけの力があったからだよ」
と伝えられました。

あの子たちが力を持っていることをもっと本人たちに
伝えなきゃと思いました。

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2009年5月28日木曜日

支援過多

4月のバタバタしている時期はともかく、
連休も過ぎ、授業の流れも落ち着いてきた今、
生徒が6~7名に対して、大人4名は多すぎるように感じます。
場合によっては付きっきりになった方がいい時も
あるように感じますが、だいたい落ち着いて学習が
できていれば、横から茶々を入れる人は少なめの方が
いいと思います。

自分のことながら現状は支援員多すぎです。
かといってなにもしていないと能なしのようで結構
辛いものがあります。
今日の一授業に至っては先生は一人でしたが、教育実習生が
3名も加わり、加えて支援員が2名ですから大変です。
生徒の人数を大人の人数が上回ってしまいました。
実習生も熱心に動いているので私は他の作業を
することにしました。

その授業に限らず、全体的に支援の手が厚すぎるように
思います。

先生にはその旨話しましたが、どうしたものか思案中です。

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2009年5月26日火曜日

中学校の部活動の位置付は?

部活動ってどうなんでしょう。
子どもにとっては絶対にあった方がいい活動です。
先生にとっては一生懸命やればやるほどボランティア
のようになってしまい、負担が増えてしまいます。

部活動に関しての問題は難しい・・・

部活動が好きで、やりたい。
でも活動中にトラブルを起こしてしまう。
ルールを決められても守れない。

こういう場合、先生が部活を辞めさせることは
できるんでしょうか。
ルールを守れないなら部活はできないと言っても
参加する権利があると主張して活動に参加する・・・

だからと言って、生徒がやりたいと言っている
部活を辞めさせるっていうのもどうなんでしょう。

瀬戸際です。

先日、教頭先生始め関係の先生方が集まった
対策会議に参加しましたが、私としては
モチベーションが下がる方向でした。

少しでも前向きな方向に一歩でも進むことを
願っています。

2009年5月23日土曜日

対応に苦慮その2

クラスの中でも一番発達が遅いけれど、明るくて元気な
生徒がいます。
その生徒は自己コントロールができなくなる時があり、
場にそぐわない大きな声を出してしまったりします。
先生の指示に従えない時もあり、何をしていいのか
わからなくなると離席してしまったりします。

その子の私の見立ては「叱られすぎ」だったので
その生徒の気持ちに立って「不安だったねぇ」「緊張したね」
など気持ちを代弁したり、良い部分を褒めたりしていたら
私のことをすっかり気に入ってくれました。

そこまでは良かったのですが、ここからが問題です。

自分の気持ちをよくわかってくれて、優しくしてくれる
先生以外を遠ざけるような態度に出るようになりました。
「○○先生はあっちに行って」とか「こっちはいいから
○○ちゃんを見てやって」など自分のことを悪く言わない
先生だけを自分の周りに置こうとしています。

私はその子は周りが思っている以上に大人の話が
わかっているし、学力とはかけ離れた生活力や
理解力があると思うのですが、担任の先生は
「できない」=「わからない」と思っているようで
本人の前でも「わからないから」と大人の事情の話も
します。またそういう関係が定着しているので
先生もその子をからかったりすることでクラスのムードを
和らげたりすることも多々あり、そういった笑いのネタに
されるよりも私の方に褒められる方がいいと
思っている様子です。

担任の先生をも差し置いて私だけに向かってくるような
状況を危ぐし、最近は距離を取りつつ離れるように
していますが、なかなかうまくいきません。
最近は抱きついてきたり腕を組んできたりと少々
エスカレートしてきています。

他の先生方もその生徒の気持ちを分散させようと
試みてくれていますが、改善しません。

離れるのが効果なしだったので、他の先生方を避けるような
ことはしてはいけない、と話しましたがこれも右から左へ
受け流されてしまいました。
他の先生を軽視するような態度だったので、思いついて
「私は○○先生のようになりたいと思っているんだよ。
○○先生のことを尊敬しているんだよ」と言ってみました。

その時にもわかってくれたかどうか疑問ですが、無言。
現場にはその先生方もいらしたのでビミョーな空気が
流れました(あぁやっちまったか私)。

私の前では頑張っていろんな事にチャレンジして努力して
学校生活への取り組み自体の質は向上しましたが
これはこれで・・・うーーん。

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対応に苦慮

「立場」というものの区別がよくつかない生徒への
対応に苦慮しています。
前の学校でも似たような問題を感じた生徒がいました。
その生徒は反抗挑戦性障害の診断名を受けていましたが、
今回の生徒はそういった障害名がついているわけでは
ないと思われます(確認したわけではありませんが)。

例えば、生徒が忘れ物をした時に先生が生徒に
「昨日のうちに準備しておけばよかったね」などと、
どうすれば良かったか話すことがありますが、
それを先生に向って悪気なく言ってしまいます。
授業中に足りなくなったプリントを取りに行った先生に
「先に準備しておけばよかったね~」と諭すように(!)
言う、という具合です。

↑は以前の生徒ですが、今度の生徒はもともと敬語を
あまり使わず、休み時間などに話しているとだんだん
タメ語になります。
最初は言葉遣いだけのことだろうとあまり気にしていません
でしたが、我々のしていることにも「こうすれば」
「ああすれば」など指示したがることが多くなり、
先日は休み時間に、自分がやりたくてやっていた作業を
休み時間が終わる時に、片付けを「じゃあ後はやっておいて」
と悪気なく言われ、問題に気付くようになりました。

自分でやっていることは自分で後始末をしなければならない
ということ、先生に後始末を頼んではいけないということ、
が全く理解できていないようでした。

そしてよ~く観察していると、先生が生徒に何かを
教える時には、先生の立場に立って一緒にその子に
「そういう時は○○するんだよー」などと言っているし
授業中も周りの生徒に対して、まるで先生がかける声かけの
ようなことを言っています。
先生が話したことに反応して「っていうか~○○だよね」
と言い換えるパターンもよくあります。

逆に生徒同士では最近辛辣な態度が多く「A子はバカだから」
「いつまでそこにいるんだB夫!」のように攻撃的な
言葉が聞かれます。

つまり自分は先生と同列であるという認識のようです。
教師と生徒の立場の違いをわからせるというのは
どういうことなんだろうと考えています。

先生は教える立場、あなた達は教わる立場、ということを
言葉で伝えるだけでは上滑りしてしまいそうだし、
厳しい態度で接して、指示したり叱る人が増えるだけの
ような対応も生徒を追い詰めるだけになりかねないし・・・

現在その生徒は親学級で全く相手にされておらず
数に入れられていないこともあるのかもしれません。
家庭科の調理実習の日程もその生徒は把握しておらず
当日我々も慌てて担当の先生に確認に行きましたが、
持ってくる物の割り当てもない状態でした。

まずはその生徒に対しては敬語を使って話すように
しようかなと考えていますが、根が深いような気がして
います。そのままにしておいても改善していくとは
思えません。

先生との縦の関係は先生側の配慮でその子の望むような会話が
成立しますが、生徒同士の横の関係ではその子が望むような
扱いを受けられず横の関係を否定してしまっているのかな
という気もします。

支援員との距離を少し置いた方がいいかもしれません。

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2009年5月17日日曜日

私の弱点

私の弱点は近づきすぎることです。
必要以上に相手の気持ちに入り込んでしまいます。
四六時中そのことが頭から離れず、他のことが
おろそかになってしまいます。

特に今見ているような問題児だったりすると
その子の置かれている立場に立った気持ちになって
居たたまれなくなってしまい、何とか力になりたい、
と肩に力が入ってしまいます。

中学校という義務教育の中で勉強に付いていけず、
クラスでは友達もほとんどおらず、唯一自分を
出すとトラブルになり押えられ叱られ、家でも
殴られている子どもの気持ちになってみると
非常に心が痛んでしまいます。

気をつけないと、こういう痛んだ心を引きずったまま
になってしまいます。
このブログに色々書くことでクールダウンしている
という面もあります。

その子と一緒に過ごす時間は、非常に緊張して
場面場面を観察し、その子の考えていることを
推察しています。そしてトラブルになりそうな時は
現在の状況を相手と本人に通訳(!)するように
しています。
その子ときちんと話をするには通訳が必要です。
その子は相手に伝えなければならない必要なところは
ほとんどしゃべらず、怒りが沸点を超えるととたんに
けんか腰で話し出します。

先日は「腹が立ったんでしょ、殴れば?」
「殴りなさいよ、それが普通でしょ!」と言いました。
その子は腹が立ったら相手を殴るのが普通だと思っています。
否、怒った相手は自分を殴るはずだと思っている、
と言った方が近いかもしれません。
そういうところから具体的に教える必要がありそうです。

先生方にも私の考えを伝えようとしていますが、
なかなか機会もなく、ついその子側に寄り添った形に
なってしまいます。

私はその子のために何かしようとしている先生を
探しているんだと思います。
誰もそんなことを望んでいない気がしてしまって、
虚しくなってしまうこともあります。
我々は対象が数人ですが、先生方は何十人何百人ですから
無理もない話ですが、そんな中でも諦めずに
私だけではないはずだと言い聞かせてその子に働きかけて
行こうと思います。

その際に感情移入しすぎないように気をつけないと
墓穴を掘ってしまいそうなので、戒めておきます。

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2009年5月13日水曜日

支援とは一体何か

支援要請が出ている、特別支援クラスの生徒に関しては
それなりの関わりができてきて、支援も私なりに
したいことが見えてきました。

問題は普通クラスに在籍していて、授業中は大人しく
部活中にひんぱんにトラブルを起こす生徒です。
この生徒についての支援というのは最初は様子見で全く
関わりを持たず、現在も授業中などはついていません。
トラブルが頻発した時点で、相談され部活につく体制に
変更し出勤時間を繰り下げて対応してきました。

こういう問題行動を起こす生徒への支援というのは一体
何だろうと最近とみに考えます。
前任校でも同様だったので尚更悩むところです。
支援員は生徒につくわけですが、その意向は担当の先生
の気持ち次第という面があります。
先生の意向に沿わないことを支援員が強引にやることは
ありません。

担当の先生はだいたい前年の問題を起こした当時の先生が
引き続き面倒を見ているケースが多く、怒り心頭です。

だいたいこういう生徒は発達障害を多かれ少なかれ
持っていると思われますが、中学生ともなると既に
二次障害が酷くてそちらの方の問題が巨大化していて
学校でもモンスター扱いになっています。

もともと私は生徒を怒鳴りつけたりする先生の指示が
受け入れ難くて苦痛ですが、問題を起こしている生徒に
上から正論で押さえつけたり権威で怒鳴りつけたりすることは
逆効果にしか思えません。
私が見た限りでは、先生が無理やり引きずったり掴んだり
するのがその子の暴言暴力に拍車をかけるし、
その行動を納めようとするなら、まず最初にその子が
暴れている気持ちをくみ取ってやらないと、気持ちの
収まる場所がありません。
だいたい事の発端は些細な思い違いや食い違いです。

前年から問題対応に苦慮してきた側からすると、この
「気持ちを理解する」という部分にカチンとくるようです。
「そうじゃないでしょう、悪い事は悪い、でしょう!」と
いうスタンスです。この暴れている生徒の気持ちを理解する
という行動が許せないようです。

怒り心頭な側から見ると、そんなわがままは許されない
ということになり、すっかり戦闘モードです。
担当の先生はあからさまに、その子を敵と位置付けています。

学校側としても、部活内のルールを守れないのであれば
部活を辞めるという確約を親に対して承諾させる方向の
ようです。そして担当は放置して問題を起こさせて
部活を辞めさせたいという考えのように見えます。
少なくとも何とか一緒に出来るようにというつもりは
感じられません。

唯一の生きがいである部活から締め出されようとしている
その子に出来る支援とは一体何なんだろうか・・・

根本的な人間不信を少しでも和らげるには支援員だけでは
とうてい無理な話で沢山の先生方の優しい思いやりが必要です。
現状、その子がもっと楽に生きられるように、と考えて
くれる人は見当たりません。

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勤務時間のその後

勤務時間に関しては上の方に直談判し、来週からは
五時までをリミットにすることとなりました。
すごく考えて絞り出したものなので、受け入れてもらって
とりあえず、ホッとしました。

「支援員がついてくれると言うので先生方はついていない」
という話でしたが、実際には我々がつく前まで顧問以外は
誰もついていませんでした。来週から支援員が帰った5時
以降は先生方がつく、ということだったのでひとまず
安心です。

我々が全部部活を見てしまうことで、先生方がその子を見る
機会が失われている、という意味でも今回の話には価値が
あったかと思います。そして勤務時間も5時までに底上げ
され、大分気持ちが楽になりました。

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2009年5月11日月曜日

勤務時間の憂鬱

前任校では、対象生徒の下校時刻に合わせて出勤時間を
ずらして問題の多い下校時間帯に備えていました。

現在の中学校では授業開始から7時間(休憩1時間含)
ということでスタートしましたが、対象生徒の一人が
部活時間に問題を起こすことから、時間をさらにずらして
18時までいてほしい、との依頼があり、もう一人の支援員と
交代で部活の最後までつくことになりました。

いろいろと疑問もありましたが、その生徒の支援が
我々に与えられた職務でもあり、授業中の支援は必要ない
ということであれば部活で支援するしかないと思い、
承諾しました。

が、やってみると思っている以上にしんどく、まず
出勤時間が11時15分、終わりが18時というのも1日中
仕事だったかのような気分ですし、それから買い物に
行くにも遅すぎる時間です。部活支援と言っても
することはほとんどなく、見守るかトラブルの対応か
どちらかで支援と言えるような事はできません。

何より、私が一番疑問に感じているのは、支援員が
何とかしようと契約条件を超えてまでその生徒に対して
対応しているのに、周囲の先生方に何の策も講じようと
しないことです。もちろん問題が起きそうな場面になれば
先生方も来て対応してくれますが、根本的に何とか
しようという気持ちがあるようにも思えません。

そしてついに部活は18時半まで伸びることになりました。

我々の勤務の契約は8時から14時45分までとなっています。
ハローワークでもほぼ同じ条件だったと思います。
それも問題だともう一人の支援員は言います。

契約が、時間が、などと言っていては教育現場は
成り立たないことは私もわかっています。
ただ、やりたくないことを支援員というよそ者に
押しつけて自分たちには関係ないというような
体制(具体的な支援希望がない状態)で丸投げされても
とうてい我々だけで解決できるとも思えません。

そして、この勤務体制にはやはり無理があり、
期限付きで最大17時までにしてほしい、と伝えることに
なりました。

さりとて、今後どうするのか、基本的に授業時間内
ということになったら、全く手を出さないことになるかも
しれません。それでは何のための支援員か、ということに
もなりかねません。

はぁ~。


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2009年5月6日水曜日

タイムトラッカー



5月3日から5日までの特別支援教育士養成セミナーの
書籍販売コーナーで見たツール集関係の本の中で目にして、
これいいなぁと思っていたものです。
内田洋行から販売されていたので家に帰って
ネットで調べてみると・・・


12,300円!


高っ!

内田洋行のサイトで見てみると、ここでは7,140円。
それでも買うにはちょっと腰が引けるお値段。
よく見ると輸入品だそうなので英語で検索すると、

ありました。

SHOP COMで、最安値は27ドル98セント。
日本円でも3,000円にも満たない値段です。
確かにこの位なら、買います。
しかしこのショップは日本には送らない
ようなので、仲介業者に入ってもらい、
そこから日本に送ってもらうよう手続きを
しなければならず、その手数料もかかるし
国際送料もかかるし・・・

と悩みましたが、7,000円を上回らなければ
日本で買うよりも確実に安いわけだし、
海外サイトでの買い物というのも魅力だし、
思い切って注文してみました。
為替レートの関係もありますが、
私の予想では、5,000円から6,000円の間位です。

2,980円のものを6,000円出して買うというのは
損をしてる・もったいないという気になりますが、
定価12,300円のものが6,000円で買えたと考えると
とたんにお得感が味わえます。

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特別支援教育養成セミナー2

2日目と3日目が終了しました。
さすがに朝早くから夕方までぶっ続けで勉強する
習慣がない中での学習漬けの3日間はハードでした。

セミナーの内容は基本的にテキストに沿っていて
テキストに沿っていないと講師の先生も事務局から
厳しく指導されるようで、内容的に最新の新しいことを
話してくれる雰囲気ではないところが物足りなくもありました。
その中でも研究の成果などを映像を交えながら話して下さる
先生の講義はやはり大変刺激的で面白かったです。

協会も形だけにとらわれずに、日々新しい発見のある
領域ですから、どんどん新しい考えや意見を取り入れて
欲しいと思います。

そもそも特別支援とは、決まり切ったやり方でいつでも
どこでも通用するものではなく「一人一人のニーズに合った」
と謳っているように、基本的な考え方をもとにそれぞれに
合ったやり方を模索しなければ現場では使えない、
という世界なわけですから、流動的にしなやかに変えて
いく部分もあっていいのではないでしょうか。

・・・ということを書く、というのはテキストの中で
変えた方がいいんじゃないか、と私が思っている部分が
あるということでもあります。
それは今明らかにはしませんが、この先この世界にずっと
関わってもその考えは変わらないと思います。

特別支援教育に携わっている人たちは、現在比較的
年齢が上の人が多いせいか、セミナー参加者も
全体的に年齢層が高めだったのも印象的でした。
あと、特別支援関連の書籍やテキスト、ワークブックなどが
沢山販売されておりすごく欲しかったですが、予算が(以下略)。

資格取得のためのコースなので習得しなければならないことが
決まっており、ほぼ先生側からの一方的な話のみでしたが
現場でかかわっていらっしゃる方々が沢山集まっているので
双方向で話ができると大変面白いと思いました。

というのも、講義をされる先生方のような大学に持ち込まれる
ケースというのは親が熱心であったり、経済的に余裕のある
家庭であったり、と家庭からの協力も得やすい、いわば
恵まれた環境にある子どもたちが多いのではないかと
思うわけです。
そういった治療のレールに乗らない子どもたちと現場で
関わっている人たちの話も交えて聞きたいなぁと感じました。
せっかくその世界の人たちが一堂に会しているのに
もったいないなぁというのが私の感想です。

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2009年5月3日日曜日

特別支援教育士養成セミナー

今日から3日間、明治学院大学で特別支援教育士
養成セミナーが開催されています。
第一日目に参加してきました。

外出は本当に久しぶりです。
遠方から来ている人も結構いらっしゃる様子でした。
各コースともに教室がほぼ一杯な状態で
特別支援教育に対する関心の高さも伺われました。

私が参加したのは「ソーシャルスキルの指導」です。
本来は基礎論、総論などから入るべきなのですが、
前任校でもどうしたらいいのか悩みに悩んだ経緯も
あるので、とにかく実践的な内容の講義を受けたくて
このコースを選びました。

6時間の長丁場で集中力に難のある年齢も加わり
午後の最後の方はかなり聞き流してしまいました。

非常に参考になり刺激を受けてきましたが、
やはり全体的に小学生段階を想定しているケースが
多いような気がします。
根っこを何とかしようとすると小学生の頃に
焦点が当たるのはやむを得ないのかもしれません。
明日は「行動の指導」です。
まさに今必要とされている部分なので楽しみです。

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2009年4月29日水曜日

支援の壁

やはり今回の学校でもこの壁にぶち当たってしまいました。

私達支援員は、対象生徒が学校で落ち着いて皆と一緒に
充実した学校生活が送れるように支援する、
つまりその子側に立った人です。

支援要請をするに至った経緯もそれぞれでしょうが、
共通しているのは、周囲の先生方も生徒達もその子に
対して、かなり拒絶的な気持ちを持っている
ということです。

本人に自己肯定感をもたせて生きる力を、とか
少しづずつ対人関係力をつけさせよう、など
支援員として一生懸命に試行錯誤していますが、
周囲に受け入れる気持ちがない場合、疑問が湧いてきます。
このまま周りに溶け込めるように積極的に支援することが
果たしてプラスになるだろうか?と・・・
一方だけ頑張っても、相手側に一緒にやっていこうという
気持ちがないと、本人も頑張っても結果が得られず
絶望することになり、却って難しくなります。

本人への支援と同時に、今まで被害にあってきた人達の
ささくれ立った気持ちが和らいでいかないと支援は
成立しない、と難しさを改めて思い知りました。
これは生徒達だけでなく、先生方も同様です。
いや、先生方の方が根が深いと言っても過言では
ないかもしれません。
これは時間が解決してくるのを待つしかないのかも
しれません。

「急いては事をし損じる」と肝に銘じます。

過去に受けた仕打ちの恨み辛みは思っている以上に
根強く、過去の事は水に流して仲間に入れてやってくれ、
というのは急にはできそうにもありません。
そう考えると、やはりまずは学力の支援から入る、
というのが一番スムーズなんじゃないかなと思う今日この頃です。

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2009年4月28日火曜日

特別支援学校生が急増?

先生が明日からできることで書かれている4/26の記事を読んで、
もやもやしていたことがハッキリしました。
朝日新聞の記事に『特別支援学校生が急増 教員・教室の不足深刻
という記事が載ったそうです。
Web版は紙面よりも内容が省略されているようですが概略はわかります。

私は自分の就職を考えた時に特別支援教育の世界で働けないかと考え、
近隣地域の特別支援学校のことを調べていました。
昔からあった支援学校はもうパンク寸前で、隣の地域になんとしても
もうひとつ新設を!という活動を数年前にされているのを見かけました。
現在はどうなっているのかと新設校の方をみると、数年で既に
いっぱいいっぱいな様子でした。
作っても作っても受け入れ側が追い付かない状況が見て取れました。

前任校でも見て感じましたが、一旦学校の普通クラスから
外れると残された道は非常に限られてしまうように感じます。
学校不適応や行動障害など教室で静かに授業が受けられない場合は
元々持っている能力が高くても、指の隙間から砂がこぼれ落ちるように
学校のシステムから外れてしまいます。
知的障害がそれほど重くは感じられなくても学年相応の勉強が
習得できないまま年齢を重ねると、テストなどでも
知的障害と同じくらいになり、いざ進路となった時に一般校を
受験できるような学習はしておらず、支援学校しか選択肢がない、
ということになっているように見える部分もあります。

学校には別室登校もあるし、相談室も設置され、
スクールカウンセラーもいますが、そこに行けない子どもが
結構多いのではないかと思ったりもします。
問題児は「自分から相談に行く」というような問題解決手段を
持っていないと思います。
私は相談室やカウンセラーのしていることはわかりませんが、
前任校でも現在も支援要請の対象生徒は
相談室やカウンセラーのお世話にはなっていません。

ちょっと別な話ですが、最近地区の高校野球の試合
があったのですが、4試合全てがコールドゲームだった
というニュースを見て思いました。
最近、色々な技術や知識やノウハウが広く浸透してきて
ものすごくいろんな事のレベルが上がってきて、
ちょっとぬるくやっているところとの2極化が進んでいる
のではないか、ということです。
学校でも同様で、できる子とできない子の差が明確で
できない子の方に入ってしまうと、抜け出すのが
難しそうに思えます。

現状を見ていると、支援学級に入ることを親が納得しない
というのも少し理解できます。


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2009年4月26日日曜日

情緒学級と知的学級

この分け方がよくわかりません。

理屈的にはわからなくもないんですが、
実際には、情緒障害もあり知的にも偏りや遅れがある子どもや
知的障害もあるけれど、かなり強いこだわりもある子どもも
おり、鶏と卵のような部分もあるのではないかと
思ったりもします。

つまるところ、情緒学級とは何ぞやということです。
何をするところなのでしょうか・・・
普通クラスの学力との開きは小学校の時とは違って
中学校では加速度的に開いて行くように思います。
中学校の2年3年ともなれば、その開きは歴然としてしまい、
情緒学級で情緒だけの問題としては扱えないのではないか?
時間とともに知的学級に近づいて行くのではないか?
と現在感じています。

知的学級よりも情緒学級の方が学習段階は進んでいるものと
思っていたら、「情緒学級在籍の子どもが普通クラスで
ついていけない授業を知的学級で受ける」という状況に遭遇し
じゃあ情緒学級の授業って何なんだろうと疑問に思ったわけです。

ケースバイケースでその子に合った道を選ぶ、ということ
なのだと思いますが、混乱します。
一番混乱しているのは子ども本人だと思いますが、なんとか
持っている力を伸ばす手助けをしたいと切に思います。


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新しい中学校へ

新しい中学校へ変わるのは大変です。

前任校でようやく学校の配置やカリキュラムが理解でき、
先生方の名前と顔と性格もわかってきて、相談や
話もできるようになってきたところだったので残念です。

同じ市内とはいえ、やはり学校が変わると雰囲気が全然
違います。不思議なことに生徒たちだけでなく先生方の
雰囲気も違います。

今回の学校は支援要請が複数人通っており、支援員が2人です。
支援員としての話ができる相手がいるので気持ち的に大分楽です。

厳密に調べた数字を持っているわけではありませんが、
このあたり一帯では、中学校への支援員の配置はまだ
少数であるようで、新しい学校でも支援員は初めてだそうです。
どういう風に動いたらいいのかお互い手探りです。

特に頭を悩ませているのは、普通クラスに在籍していて
問題を抱えている生徒について、どう支援するのかについてです。

問題を抱えている生徒の場合、大抵その問題は一つだけではなく
あっちにもこっちにも問題があり、どこから手をつけたらいいのやら
途方に暮れてしまいます。

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2009年3月26日木曜日

卒業式も終り

3月10日に卒業式も滞りなく無事終了し、担当の生徒も笑顔で
巣立って行きました。
担任の配慮で、私にもお礼のカードを書いてくれており、
最後に恥ずかしそうに手渡してくれました。
そして同時に私の任務も終了となりました。

結局のところ、支援員という私が入って役に立ったのかどうか
よくわかりませんが、とにかく私も含めて関わる大人が
悩んだり汗をかいたりして、皆で力を合わせて見守るのが
最大の手助けなのかな、と感じました。

また卒業式の後、職員室で皆様から大きな花束をいただき、
大変恐縮しました。
教頭先生には配置が決まった時から本当に良くして頂きました。
当該生徒に対しても自分のことのように親身に考え、一緒に
考えて、どうしようもなく上手くいかない時には相談に乗って
いただき励まして下さり、非常に支えていただきました。

わずか4か月、実質は2か月ほどの日数の勤務だったのに
申し訳ないくらい、先生方と同じように扱っていただきました。
一生懸命に考えて働きかけ、色々やってみましたが、
力及ばずな面が多々あって、もっとできることはなかったか
反省しきりです。いつか恩返しがしたいです。

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2009年3月19日木曜日

中学校の特別支援学級

中学校における特別支援学級について考えています。

教育ブログ村の中で、通級教室に通っている子どもは
不登校のケースが結構ある、という記述を見ました。
私はこれ凄くよくわかる気がします。
通級教室は、その子にとって「他と比べて自分が劣っている」
と感じてしまう要因がないからだと思います。
その場で、自分が普通であるという安心感があるから
なんじゃないかと思います。

知識も経験も浅く勉強不足な私ですが、現場を見て
中学校における特別支援学級は大変難しいと感じました。
知能指数50~60台だと、身辺自立はできているし、
学力的に遅れてはいても、一般的な理解力はある場合が
多いのではないかと思います。
学校に評価というものがある限り、特別支援学級の生徒たちは
どうしても「自分たちは遅れている」と感じざるを得ません。

また、総合的な活動や技術や家庭科、音楽などの教科で
普通クラスに戻れば、自意識過剰な中学生の時期に、
慣れ親しんだ場所ではない、よそ者的な立場で授業に
参加することは、下手をすると学力面での差が目に見える形で、
皆の前に置かれるようなものなのではないかと思います。

学力面での差が全ての価値ではない、と私自身も
感じていますが、やはり学校という場においては
重要なファクターであると感じます。
学力が足りないと対人関係にもトラブルが起きやすいように思います。

もちろんこの時期の仲間、同年代の友達は非常に大切だし
孤立させることには何の価値もないとは思いますが、
中学校という、学力の差も著しい思春期の生徒たちに
劣等感を抱かせずに、生き生きした支援をするというのは
一体どうしたらいいのか、悩みが尽きません。

やっぱり学力の支援が一番大切な気もします。
笑いやお楽しみも外せないし、皆の中で自己肯定感を
育むのがポイントなのか・・・

どこか目標となるような取り組みをしているところは
ないかなぁと探しているところです。

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2009年3月7日土曜日

卒業式は誰のもの?

今まで散々問題行動で周囲を振り回してきた生徒も卒業です。
現在でも根本的にはあまり改善されておらず、今もなお
学校に不適応という状態にあると言ってもいいと思います。

集団への参加が苦手でもあるため、卒業式の練習にも
ほとんど参加できずにいますが、その子の分の椅子は
設置されています。

私もなんとか参加させようと直接的、間接的に、時には
裏から手をまわしてきましたが、体育館へは入っても
席につくことはできません。

でもふと疑問が湧きました。

周りは同級生も先生方も自分のことで手いっぱいということも
あると思いますが、今もなお先生の指示に従わないその子が
その椅子に座ることを望んでいるのか?許しているのか?

確かに、義務教育ですしその子がその場所に座って式に参加する
権利はあるわけですが、その子と一緒に後ろから式の練習風景を
見ていると、その場がその子を受け入れているようには思えません。
いつ何時暴れたり暴言を吐いたりするかわからない生徒に対して
積極的に受け入れる気持ちが湧かないのは当然かもしれませんが、
「そこは自分がいてもいい場所なのか?」という問いに
Yesというメッセージは感じられません。

子どもは、自分がその場にいてもいいのか悪いのか
敏感に察知するので、本人が入らないのか周りに拒絶されて
入れないのか微妙な感じもします。

皆でわーっと迎え入れる雰囲気があれば、入れそうな感じもしますが
今まで受けてきた仕打ちや態度を考えると、迎え入れたとしても
気分次第でいとも簡単に裏切ることは想像に難くなく、
それ故皆無関心です。
「席に着く気があるなら勝手にどうぞ」という空気の中、
私自身積極的に席に着くように働きかけることに意味はあるのか
という疑問が湧きあがってきました。

それでもやっぱり卒業生の塊に入れずポツンと離れている
その子を見ると心が痛みます。

卒業式は誰のものなのか?
それは卒業生のものであり、保護者のものであり、
先生のものでもあります。

卒業生が主役と言いますが、先生方にとっても責任を持って
送り出す儀式でもあると思います。
そんな中最後まで態度を改めることなく、問題行動を続ける子は
卒業生として尊重され祝福される側には入っていません。

それはそれで気持ちはわからないでもありません。

仕方のないことなのかもしれません。

どちらの気持ちもわからなくはないのですが、
やりきれない思いが心の隅に残ります。

卒業式当日にはきっと祝福の片隅に入れてもらって
卒業していくのだろうと思います。

支援って難しいです。

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2009年3月5日木曜日

怒りをコントロールできない子の理解と援助 

怒りをコントロールできない子の理解と援助―教師と親のかかわり
怒りをコントロールできない子の理解と援助―教師と親のかかわり
著者:大河原 美以
出版社:金子書房
出版日:2004-07


今私が求めていることがしっかり書いてありました。
今対応に困っている「キレる」子がいる学校の必読書だと思います。

「怒り」をどうコントロールするか、これが今私にとって一番の関心事です。
子どもたちにも「怒りはきちんと言葉にして表現しなくてはいけない」
と言葉にして伝えても、もうひとつ上滑りしてしまっている感があったのですが
この本を読んで、そのモヤモヤが綺麗に晴れました。

まずは「ネガティブな感情の社会化」という言葉だけでも納得です。

良い子であることだけを求められ、本人の中ににネガティブな感情が
閉じ込められる環境にあると、子ども自身の認知と身体が解離してしまう、
ということも大きく頷いてしまいました。

家ではいい子なのに学校に来て暴れて暴言を吐く、などというパターンは
まさにこの通りです。

本を読んで納得したからと言って、すぐに改善するほど簡単でもない
とは思いますが、具体的な支援の仕方のロールプレイや
親への対応の仕方、クラスでの当該児童以外の子どもへの対応の仕方など、
大変参考になりました。

支援対象の子どもの問題行動に周りの子どもたちは辟易していたり、
多大なる迷惑を被っていたりするわけで、その子どもたちの言い分も
ある意味正当なものであったりします。
そんな中で、担任と周りの子どもたちが支援する側、となるのを避ける、
というのも確かに・・・と納得です。

さらに、支援対象への批判は聞くだけにとどめ、
周りが頑張って気を使った部分を取り上げて感謝するなどの
具体的なポイントもわかりやすく、明日からでも心掛けようと思える
ものでした。

「怒り」の問題は難しいですが、この本は非常に参考になりました。

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2009年3月4日水曜日

「愛されたい」を拒絶される子どもたち

「愛されたい」を拒絶される子どもたち―虐待ケアへの挑戦
「愛されたい」を拒絶される子どもたち―虐待ケアへの挑戦
著者:椎名 篤子
出版社:大和書房
出版日:2007-07

以前この著者が原作の「凍りついた瞳」という漫画を読んで
衝撃を受けた記憶があります。
文字通り読んだ私自身も凍りついたという表現がぴったりで、本当に
ぞっとしたのと同時に、心が痛みやりきれない気持ちになったことを
鮮明に覚えています。

この本はたまたま行動障害系の本を探しに図書館に行った時に
パラパラと見て借りた本ですが、大変面白かったです。
後から「あのマンガの作者と同一人物が書いたものとわかり納得しました。
「凍りついた瞳」は現状を淡々と赤裸々に伝え、実態を知らしめることが
一番のテーマだったと思いますが、今回の本はさらに進み、保護した子どもを
どのようにケアしていくのか、というテーマでした。

舞台となる施設は、こういった活動が盛んで実績がある地方にあります。
私の思い込みかもしれませんが、関東はこういった動きがまだまだ少なく
地域によってかなり差があるのではないかと思います。
危機的な状況に直面しての思いは一緒なのだろうと思いますが
取組みとバックアップ体制には大きな開きがあるのではないかと感じます。

学会や講習会、講演会など目立ったものは関西で開催されるものが多く、
知っても参加できずにいるので、とても残念です。

この本は、重い虐待を受けた子どもに対して特定の個人と
愛着関係が結べるようにマンツーマンに近い環境で子どもを
育て直す試みや学校での対応など多方面から、病院とも手を組んで
育てる側の当事者目線で書かれています。

日々の小さなことの積み重ねが大事なのだとわかりますが、
一般化してどこの施設でも教育現場でも使えるかと言うと
現状では難しいと言わざるを得ません。

引き込まれて一晩で読んでしまいました。

考えさせられる一冊でした。

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2009年2月20日金曜日

マイナスの言葉対策は?

今一番頭を悩ませているのは暴言、攻撃的な言葉、侮辱的な発言
といったマイナスな発言にどう対応するかということです。

ネットでも「発せられる言葉そのものよりもその背景を
重要視せよ」といったことが書かれていますが、実際の場面では
ピッタリと当てはまって解決するというわけにはいきません。

ある女の子の場合の暴言は自分を防御する目的で使われることが多く、
原因があるので、なぜそういう状態なのかを理解することも
可能なので対策が取りやすいのですが、ある男の子の場合
原因もなく日常会話の中に自然に?普通に?ちくちくと厭味や暴言が
さり気なく使われていて、いちいち指摘もできないほど彼の中に
溶け込んでしまっています。
目立った反社会的な問題や校則違反を起こさないこともあって、
あまり取り上げられません。

あまりに頻繁なので私自身も無意識に無視してしまうのと同時に
その子から自然に離れてしまうことが悩みの種です。
教科担任と違って一日の中で継続して近くにいると本当に
辟易してしまいます。
いかに大人と言えど、マイナスな言葉にさらされていると
精神衛生上いいはずもなく、ストレスが溜まります。
担任が注意すると担任の前では1日ほどは大人しくしていますが
継続はしません。

自分に関心を向けさせるための彼なりの行動なのだと思いますが
目を向けようにも、目を向けた人に攻撃し始めるのでやっかいです。
女の子よりも男の子の方が起こす問題が大きいだけに、彼の将来が
心配です。

彼自体支援要請の対象にはなっていないのですが、かなり
根が深く本当は彼こそ個別の支援が必要なのではないかと感じます。

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来期の異動

来期から市内の別の中学校に異動することが決まり、
現在の中学校から出ていた一人の支援員要請は採択されない
こととなりました。

私としては来期もこの状態のまま続けるのは非常に厳しいと
感じていたためホッしたのが正直なところです。
いざそう決まると気持もだいぶ楽になり、上手くいかないことが
あっても天国と地獄のような気分の変動はなくなりました。

先日担任が出張で別の先生がホームルームに来てくれた時に
話の最後に私にも「○○先生からは何かありますか?」と
振ってくださいました。
今までは一度もそういう場面はなかったので驚きましたが嬉しくもあり、
こういう風な立場に置いてくれるならもう少し私もやりやすいのになぁと
恨み節がむくむくと心に湧いてきました。

私の担当の生徒は(私のおかげではありませんが)最近落ち着いており
残りの日々はそれほど荒れることもなく済みそうだという確信もあります。
若干消化試合的な感もありますが、少しでもできることを最後まで
諦めずに働きかけていこうと思います。

中学校の支援員というのは非常に難しいなぁとつくづく感じています。
中学校という自我が芽生えがじめる場所で一体何を支援するのか、
次の勤務地へ行く前に自分なりにまとめてみたいと思っています。

小学校では通常クラスでは対応できない子全てが入ってくるわけですが
中学校になる段階で養護学校へ入学する子どももおり、通常学校の支援級へ
入ってくるのは養護学校との境目に位置する生徒たちということになります。
他の学校の状況はよくわかりませんが、いくつかの学校を見た印象では
学力云々以前に「指示が通らない」「暴れる」など発達障害からくる
二次障害?とみられる状態に陥っていて、「学校での集団生活自体が困難」
な状態に近い子どもが結構いると思います。

そこで、さぁ生活を落ち着かせましょうという支援をしようとしても
中学生ともなると(それも2~3年になると)素直に言うことなど聞かない
ことも多く、重度のの知的障害でない限り支援にも限界があると思います。
従来は「和み系の子ども」が支援級の対象であったのに対して、
現在は別な意味で支援が必要であるようです。

短期間ですが支援に入って感じるのは、こういった行動障害傾向の
子どもへの支援は、全職員共通の認識や学校全体での意識改革が
最も重要なのではないかということです。
大げさなようですが、中学校に支援員が入る場合にはそれなりに
先生方への啓発も必要なように思いました。
(2~3年生の場合、既に学校生活の中で学習してしまって
定着している悪習慣もあると感じます)

現在の学校では、学校全体での取り組みと考えてくださっている
先生方も多く、大変協力的で私の活動にもねぎらいの言葉をかけてくれたり
手を貸してくれたり(私が頼りないからかもしれませんが)と
大いに助けられています。
というよりも、先生方の協力なしに支援員は存在しえません。


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2009年2月14日土曜日

NHKの不登校の番組

たまたまNHKで不登校について考える番組をやっていたので
興味を持ち何となく見ていました。
その通りなんだろうなぁと思いながら何か腑に落ちないまま
終わってしまいました。
もちろん深く掘り下げることが目的ではなく現実を知るという
入門編だったのだろうと思いますが、腑に落ちない理由がわかりました。

紹介されていたのは個人の気持ちのつまずきにある場合と、
あと一番大きい要因が母親の過干渉という取り上げ方をされていたからです。
不登校から子どもを学校に復帰させるのは母親を変えることが
一番の近道であることはその通りかもしれません。
ただ、不登校の原因が母親である、というのはちょっと違うんじゃないかと
ひっかかります。
逆算して問題を解決するには母親との関わり方で良い方向を向く、
ということはあると思いますが、それが母親の関わり方が悪かったのか
と言われると、違和感を感じます。

なぜ家庭内のことなのに父親との関わりが全く出てこないのか?
家庭内で母親の力が大きすぎるということはイコール家庭内で父親が
存在感がない、自分の土俵として主体的にかかわっていないということ。
父親はなぜ問題にならないのか、母親の関わり方のみを取り上げるのは
車の両輪のうち一方だけを取り上げているように思えてなりません。

今全国で不登校の小中学生は13万人いるとのことですが、
全て母親が悪いと言われているようで、しこりの残る番組でした。

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全体的に形が整った感じ

私が支援員として入ってから実質二か月ほど過ぎ、
私自身も子どもたちも慣れてきたせいか、形が整ってきました。

やむを得ない事情もあるので、遅刻は多いものの欠席も減り、
おおよそ1時間目には登校でき、先生方の指示も割とよく通り、
親学級での授業も参加できることが多くなりました。
言葉使いも問題視するレベルではなく、何より学習への取り組む
姿勢が前向きで、私としては内心万々歳です。
現在もちょっとした服装の違反や持ち物の違反もあったり、
先生方から見たらまだまだ満足は行かない点も多々あると思いますが、
私としては、その子の気持ちが安定していて、話ができる関係が
保たれていることが一番のように思います。

担任との関係も私が期待するような方向へは向きそうにもありませんが
それなりに確立されつつあります。
もう少し一緒に関わっていくという態度が欲しいなぁと思いますが、
このスタンスは変わりそうにもないので、ある意味自分の考えで
自分の城を築かなければいけないんだろうと思います。

私の今月の給料は税引き後4万円ほどです。
私自身は全く自信も実力もなく、何もできない無力感で一杯になることも多々
ありますが、私に対する対価と現状を鑑みて費用対効果で考えれば、
私の働きは十分だろうと思えないこともありません。

今度の4月から入る予定の学校での状況を聞いてみると、
支援員要請の対象生徒の人数が複数人とのことです。
内容を聞いて感じるのは、現在の学校と同様先生方が非常に困っていること。
先生方でも対応に苦慮してどうにもこうにも・・・という状況が見て取れます。
プロの先生方でも苦慮している状況に素人が入っても無理じゃないか、と
またまた思っております。

現状「中学校で支援員の要請がある状況」というのは、身体的な補助の
ケースを除けば、ほぼ「大変で手に負えない生徒及び保護者」
がかなりの割合を占めるのではないかと想像します。
また、先生方のプライドもあり、まだ事態がそれほど悪くない時期に
ヘルプが出せない風土もありそうで、非常に困難な状態になってから
支援員が入ることになることも少なくないのではないかとも思います。
また要請数は多く出ているようですが、実際に配置されるのはごく
一部で倍率もかなり高く、本来ここで人手があれば、という状況では
落選となってしまっているようです。

少子化少子化と言われているのに、特別支援の必要性だけは高まり
地元の特別支援学校もどこもかしこも定員以上にぎゅうぎゅうです。
色んな面で根本的な見直しが必要なのだろうと察せられます。
まだ数カ月しかたっていませんが、現場で汗水たらして奔走している
先生方の大変さが少しばかり垣間見えました。

来年度も支援員としては厳しい環境を覚悟しておいた方がよさそうです。

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2009年2月5日木曜日

気付いてよかった

昨日気付いて本当に良かったです。
目の前にある一番肝心なものが目に入っていませんでした。

そう思ってみると、それ以外の何物でもなく、
どんなにか毎日ストレスなんだろうと思えるようになりました。

子どもたちにもたぶんこの空気感は伝わっていると思います。
非常に良い子です。
担任の顔色を私も子どもたちも伺いながら行動しています。

気付いてみると、色々なことが問題になってくるだろうなと
想像できるようになり、上層部の人と話をさせていただきました。
慎重に私の現状を話してみました。

私や担任では動かせないこともあるのですが、
取りあえず、担任が私の存在にストレスを感じているのではないか
ということは伝えられたと思います。
あと、来期も支援員の希望を出す際には現場の担任にも
必要かどうかの意向を確認した方がよいのでは?とも加えましたが
既に決まっているようで、私自身も頭が痛いところです。

私の居心地の悪さややり辛さも理解を示して下さり、それだけでも
私自身大分楽になりました。また時間をかけて色々な面から
ご自分の考えやねぎらいをいただき、大変励みになりました。
気付いたかいがあったというものです。
私が気付くことは最終的に、子どもたちにも担任にも周囲にも
良いことに繋がると思っています。

いろんな人に感謝です。

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