2009年3月7日土曜日

卒業式は誰のもの?

今まで散々問題行動で周囲を振り回してきた生徒も卒業です。
現在でも根本的にはあまり改善されておらず、今もなお
学校に不適応という状態にあると言ってもいいと思います。

集団への参加が苦手でもあるため、卒業式の練習にも
ほとんど参加できずにいますが、その子の分の椅子は
設置されています。

私もなんとか参加させようと直接的、間接的に、時には
裏から手をまわしてきましたが、体育館へは入っても
席につくことはできません。

でもふと疑問が湧きました。

周りは同級生も先生方も自分のことで手いっぱいということも
あると思いますが、今もなお先生の指示に従わないその子が
その椅子に座ることを望んでいるのか?許しているのか?

確かに、義務教育ですしその子がその場所に座って式に参加する
権利はあるわけですが、その子と一緒に後ろから式の練習風景を
見ていると、その場がその子を受け入れているようには思えません。
いつ何時暴れたり暴言を吐いたりするかわからない生徒に対して
積極的に受け入れる気持ちが湧かないのは当然かもしれませんが、
「そこは自分がいてもいい場所なのか?」という問いに
Yesというメッセージは感じられません。

子どもは、自分がその場にいてもいいのか悪いのか
敏感に察知するので、本人が入らないのか周りに拒絶されて
入れないのか微妙な感じもします。

皆でわーっと迎え入れる雰囲気があれば、入れそうな感じもしますが
今まで受けてきた仕打ちや態度を考えると、迎え入れたとしても
気分次第でいとも簡単に裏切ることは想像に難くなく、
それ故皆無関心です。
「席に着く気があるなら勝手にどうぞ」という空気の中、
私自身積極的に席に着くように働きかけることに意味はあるのか
という疑問が湧きあがってきました。

それでもやっぱり卒業生の塊に入れずポツンと離れている
その子を見ると心が痛みます。

卒業式は誰のものなのか?
それは卒業生のものであり、保護者のものであり、
先生のものでもあります。

卒業生が主役と言いますが、先生方にとっても責任を持って
送り出す儀式でもあると思います。
そんな中最後まで態度を改めることなく、問題行動を続ける子は
卒業生として尊重され祝福される側には入っていません。

それはそれで気持ちはわからないでもありません。

仕方のないことなのかもしれません。

どちらの気持ちもわからなくはないのですが、
やりきれない思いが心の隅に残ります。

卒業式当日にはきっと祝福の片隅に入れてもらって
卒業していくのだろうと思います。

支援って難しいです。

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